記憶される言葉と行為


37年間、覚えている詩がある


(覆された宝石)のような朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日


詩集『あむばるわりあ』に収められた西脇順三郎の詩。初めて読んだのは17歳の時だから、もう37年も前のことになる。ただし、その頃特に詩を好きだったわけじゃない。本を読むのは中毒だったが、詩集は苦手だった。


一応カッコをつけるために、ボードレールヴェルレーヌランボーなどの詩集を文庫版で買い集めはしたが、読んでもおもしろくない。原文の頭韻や脚韻などが伝わらない翻訳では、詩の本当の良さはわからないのかもしれない。


ところが、冒頭の詩だけは、なぜか、情景が浮かんだ。そして、その後、ずっと記憶に留まった。


この詩と出会ったのは、マンガの中。『メタモルフォシス伝』(山岸凉子)で、主人公が「(覆された宝石)は、確かキーツの「エンデミオン」からの引用のはず」と語っていたことまで覚えている。


人の記憶は一般的に、短期記憶と長期記憶にわけられる。短期はマジカルナンバー7と言われるように、約20秒間だけ保持される記憶のことだ。たいていの人は7±2(つまり5つから多くて9つまで)のことしか覚えられない。覚えても、すぐに忘れてしまう。


これに対して長期記憶は、忘れない限り、死ぬまで脳の中に保持される。冒頭の詩などがそれに当たるのだろう。ただし、長期記憶とはいえ、時間が経つと記憶が序々に失われていくこともある。


不思議なのは、覚えようと努力した事がらは忘れてしまいがちなのに(大学受験の時に覚えた歴史の年号や化学構造式、行列やベクトル問題の解き方などきれいさっぱり忘れた)、特に覚えようとしていないのに未だに覚えていることが、いくつもあること。


例えばWishboneAshというイギリスのバンドのリードギターがアンディ・パウエルだとか。アルバムは一枚だけ持っていたけれど、特に好きなバンドだったわけではないのに、なぜか覚えている。このバンドに関して、何か特別な思い出があるわけではないのにもかかわらずだ。


昨年後半ぐらいのことでいえば、一番印象に残っている言葉が「ビートルズリンゴ・スターのスネアドラムっていじわるでしょう」である。この言葉が頭に浮かぶと、それを聞いた場所、その時のシチュエーションまでが鮮やかに蘇ってくる。


この時のことはおそらく長期記憶として、頭の中にしっかりと定着していくのだろう。そう考えると、長期記憶されやすいのは、単なる視覚情報だけではなく、聴覚や嗅覚、もしかすると触覚など五感をフルに使って体験した内容なのかもしれない。


逆にいえば、冒頭の詩のように、視覚情報だけに頼る文章で長期記憶に残るものを書けるかどうかが、書き手の力をはかる目安となるのではないか。そういう文章を書けるようになりたいです。


昨日のI/O

In:
ビッグデータ関連資料
CPS関連資料
Out:
某ストーリー原稿

昨日の稽古:

ジョギング10キロ
シットアップ・レスラープッシュアップ・指立て