体重と脂肪と筋肉の関係


45キロから70キロまで


体重を意図的に変えたことがある。最も減らしたのが高3の夏で45キロ、いちばん多かったのが43歳ぐらいの時の70キロ。上下25キロの違いがある。


病気で増減したわけではない。高校生最後の夏は、やたら根暗(死語ですね)な文学少年で、とにかく太っていることを罪悪視していた。その頃愛読していた『Rock'in On』の人気ライターだった松村雄策氏が「太っている奴にろくな奴はいない。ロックミュージシャンは、みんなガリガリだ」と言っていたからだ。


今になって38年前の映像を見れば、例えばリッチー・ブラックモアにしてもジミー・ペイジにしても、結構ぽっちゃりしている。なぁ〜んだ、である。さすがにヘビーに薬をやってたらしいキース・リチャードはげっそり痩せている。どっちがかっこいいかといえば、やっぱりキースだ。でも、今のキースは、痩せこけたジジィになってしまっている。ミック・ジャガーの方が見栄えは断然良い。


さておき、この頃は一日一食、昼前に牛乳を入れたボウルに、バナナ一本をちぎって入れて食べていた。あとは、晩ご飯のとき、ほんの少しだけ家族に付き合っていたような記憶がある。おかげで45キロになった。体力もまったくなかった。


これが一転、浪人してからは「めざせゴルゴ13」となり、ダンベルを買い、筋トレに精を出し、毎日夕方走り、晩ご飯をしこたま食べるようになった。当時、かぶれていた大藪春彦の影響もあり、とにかくボローニャソーセージを500グラムぐらい食べることをもって由としていた。その頃に見た『ロッキー』を真似て、生卵をコップに2個入れて飲んだりもした。これはまずくて、えづきました。


めでたく大学生となり、軟式野球部でピッチャーをやらせてもらった一回生の頃が、体力絶頂期だったと思う。短距離だけは徹底的に遅かったが、遠投は80メートルを超えたし、野球部内対抗大文字マラソンは、先輩に15分ほどのハンディを出しても全員追い抜いた。


ところが、社会人となると運動している時間がない。最初に入った印刷会社でも業務部にいた頃には、まだゆとりがあり、朝にトレーニングをすることもあった。これが営業に配属されると、とにかく帰る時間が遅い。おまけに酒を飲む。たまの休みは疲れ果てて寝ているだけ。という生活で、どんどん体が緩んだ。


それから10年ぐらいが経ち、40歳になって空手を始めた。これはまた、えらい世界である。当時の道場長は、身長175センチぐらいで体重が90キロぐらいはありそうに見えた。腕が太い、胴体がごつい、足もゴロンとしている。「どうぞ、好きなように蹴ってください」といわれても、蹴ったこっちの足のほうが痛い。お腹をおもいっきり叩いても、何の反応もない。


一方で、師範代は身長は私と同じぐらいだったが、太ももと二の腕の太さが異様である。Gパンがパンパンというが、本当にはちきれそうだった。それでいて体は柔らかい。だから、足がしなって蹴りが飛んでくる。とにかく、そんないかつい人たちばかりである。


先輩方は、40にもなって入ってきたおっさんを本気でどついたり蹴ったりするつもりはなかったのだろうけれど、やはり頑張らねばと思ってしまう。そこでフィットネスクラブに通って、本格的に筋トレで鍛えることにした。いろいろなマシンを使い、「ちょっとこれ以上は無理です」な重さで7回がんばる。そんなトレーニングを週に3回ぐらい続けた。


食生活も意識するようにした。とにかく肉を食べる、牛乳を飲む、たまごを食べる。がんばったおかげで、最大で70キロぐらいまでいった。そうなると、少々蹴られてもどつかれても、そんなに痛くなくなった。人の体はほんとうに面白い。


で、2週間ほど前から、また、新しいことに挑戦している。2ヶ月ぐらいかければ、成果が出るらしい。今度は、どのように変わるのか。とても楽しみである。歳を取るほど、いろんな不純物が貯めこまれているので、それを振り払ってまで変えるのは大変だという。そう言われれば、やってやろうじゃないのと思う。結果は、やってみないとわからない。でも、がんばるのである。

昨日のI/O

In:
『Number』野茂さん特集
Out:
某原稿下書き12枚
某原稿プロット5枚

昨日の稽古:

ジョギング