クールビズの功罪


ネクタイが嫌いである。


では、クールビズ賛成派かといわれると、そうでもない。仮に20年ぐ
らい前にクールビズなるスタイルが登場して、社会的に認められていた
ら、今の自分はないかも知れない。


とはいえネクタイなんてしなくてすむのなら、それに越したことはない。


特に夏場のネクタイ。勘弁して欲しいと、心から思う。大げさな話、あ
れを手にしただけで、すでに汗がにじみ出てくる。首に巻いた瞬間には、
体感温度が確実に2度は上がっている。


嫌いなものだから、いまだにうまく結べない。これがプレーンノットだ
と自分では思い込んでいるのだが、正しいやり方ではないのかもしれな
い。ずっと前に知人から「何か、おまえのネクタイ、変やな」と指摘さ
れたこともある。ネクタイの結び方なぞ、オヤジに一度教えてもらった
きり。それ以来、こんなもんだろうと、そのやり方を続けている。確か
に下側にくる小さい方が、どうやってもゆがむ。妙である。どこかが決
定的に間違っているのかもしれない。


今は幸いにして毎日ネクタイを締めなければならない境遇ではない。こ
れだけでも、人生とてもラッキーだと思っている。ネクタイに苦しめら
れて、その上、満員電車にゆられる毎日と比べれば、個人的勝手評価で
はすでに、5倍ぐらい得してるなと思っている。


とはいえ、これまでの人生でネクタイとまったく縁がなかったかという
と、決してそうではない。大学を出て初めて勤めた会社では、きちんと
したスーツ姿を求められた。印刷会社の営業職なのだから、当然である。
憂鬱だったなぁ、あの頃は、毎日が。仕事はイヤではない。むしろ楽し
いといっても過言ではないぐらいだ。だが、ネクタイが決定的にヤなの
だ。だからんノーネクタイタイムとなる残業は喜んでやった。休日出勤
だってへっちゃらである。ネクタイしなくていいんだもん、仕事なんて
いくらだってこなせるぜってノリだ。おかげで給料の1.5倍ぐらいの残
業代をもらったことだってある。


でも、やっぱり昼間はネクタイなんである。くりしいのである。息がち
まるのである。頭がボヨ〜ンとしてくるのである。


そこで考えた。何とかこの地獄からおさらばする方法はないものかと。
見渡すとまわりにはネクタイどころか、暑い夏には涼しげなTシャツ一
枚で仕事している人たちがいるではないか。デザイナーやコピーライター
などのいわゆるクリエイティブといわれる人たちである。


「これだ! これしかない」と。転職した。今にして思えば、この時も
う少し複雑かつ緻密な思考をしていれば、ノーネクタイ・モアリッチな
暮らしに突入できていたかもしれない、と少しだけ後悔したりもする。


もちろん、ネクタイが嫌いなだけで転職したわけじゃない。そこまで短
絡的じゃない。でも印刷屋をやめようと思った理由の40%ぐらいはネク
タイがいやなことだった。そしてコピーライター見習いを選んだ理由の、
やはり45%ぐらいはネクタイをしなくてもいいことだった。


それ以来、18年間でネクタイの本数は3本ぐらいしか増えていない。
そのうち1本は北京で手に入れた。中国の大手広告代理店の偉いさんに
逢うために、ホテルのショップで慌てて買ったのだ。あとの2本はもら
いものである。


いまネクタイを締めるのは、取材で人に会うときぐらいだ。この先ネク
タイを毎日するような状況になることも、まずないだろう。そして脱・
ネクタイの道を求めることで、結果的にはそこそこ納得できる日々を送
らせてもらってもいる。


たかがネクタイだが、それをいやがる気持ちの強さが、今に到る道を開
いてくれた。この言い方は少し的外れだな。ネクタイをいやがる気持ち
ではなく、ネクタイをしなくてもいい働き方を求める気持ちが、今の自
分を作ってくれたのだ。











本日の稽古:

  東京出張のため、お休み