命のかけがえのなさをどう教えるか


大学時代に5年、そして、子どもが生まれてからの9年。


あわせて14年。子どもと関わっている。学生の時は家庭教師、塾の講
師として。最近は寺子屋のおっちゃん、PTAの会長、そして空手の先生
(なんて、自分でいうのも烏滸がましいが)として。


自分に子どもが生まれる前から、子どもが好きだった。わが子ができて
からはさらに、自分の子どもを含めて子どもみんなを大切に思うように
なった。


子どもができて強く思うようになったのは、この子が未来を担っている
のだということ。たいそうな言い方かもしれないけれど、そうやって人
は歴史を作ってきたのだと思うようになった。子どもは自分が生きた証
であり、未来を創る希望である。


子どもには「よく生きて欲しい」と、ただそれだけを祈る。どんな生き
方をするかは、人それぞれ違って当たり前。ただ一つ願うのは、どんな
で生き方でもいいのだけれど、できる限り自分で選んだ生き方をして欲
しいということ。


そのために、自分の子どもと、少なくともそのまわりにいる子どもに対
しては、自分にできることを何かしたい。余計なおせっかいかもしれな
いけれど、そう思って、いろんなことをしているつもりだ。


だから、こたえる。


子どもが子どもを殺す。学生が子どもに手をかける。親になったことの
ない人間には、子どもの尊さがわからないのは仕方がないことなのかも
しれない。であれば、子どもを守るための何らかの仕組みが必要だ。


特に子どもが子どもを簡単に殺してしまうことを、どうやって防ぐのか。
ありきたりな言い方しかできないのだけれど、命の大切さをどうやって
理解させるのか。


ゲームやテレビでは人の尊厳や命を軽視するような情報があふれかえっ
ている。一方で肉親の死を含めて、人の死を実感する機会がどんどん減
っている。死の意味が理解されなければ、生きることの意味だってわか
るはずがない。


人は一度死んだら、二度と生き返らない。


この当たり前だけれど決定的な事実を、どうやって理解させるのか。だ
からこそ、生きていることにはかけがえのない意味があることを、どう
やってわかってもらうのか。


こんなにも簡単に子どもが殺される世の中は、どこかがおかしい。わが
子を護るのはもちろんだとして、子どもが殺されない社会にするために
自分に何ができるのか。ここを考えることから始めるしかないのだと思
う。





昨日のI/O

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『THE 21』
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