公立と私立の価値の違いは


531万円vs982万円


幼稚園から高校までをすべて公立校で行った場合と、小学校だけ公立校
であとはすべて私立で行った場合の学習費の差である(日経新聞12月
16日)。


その差、約1.8倍。仮に小学校も私立だとすれば差は2倍を超えるだ
ろう。ここで疑問が生まれてくる。コストが倍違うとしたら、それによ
って得られる価値も倍、違ってくるのだろうか。


ここが教育の難しいところなのだと思う。


価値を比較して考えることが不可能なのだ。だって一人の子どもの人生
は一回きりしかないわけだから。全部公立校で大きくなった子どもに、
じゃあもう一度幼稚園から私立でやり直してみようなんてことはあり得
ない。なかなか比較をすることが難しい。


その結果、ものすごく単純な物差しとして使われているのが、たとえば
大学合格者数ということになるのだろう。ただし、この物差しだって決
して万能じゃない。


こんな話がある。京大の先生に聞いた話だけれど、A高校の出身者とB
高校の出身者では、入学後の伸びがまったく違うらしい。B高校の方が
ダントツに伸びるのだ。ところが京大への合格者数でみれば、A高校の
方が多い。その理由は何か。これも聞いた話だが、このA高校では高校
時代に相当な詰め込み教育をやるらしい。夏休みや冬休みも返上して補
習の連続みたいな。


と考えるなら、大学合格者数だけじゃなくて、合格者たちの大学卒業後
の進路なども参考資料としてあればいいのかもしれない。まあ、こうし
た情報は個人情報保護法の絡みで、これからはどんどん公にされなくな
っていくんだろうけれど。


ちなみに私が通っていた私立高校は、まったくの自由放任主義だった。
今は変わってしまっているかもしれないが、高校時代の先生は勉強する
のもせんのも、あんたの勝手。その結果、どんな大学に行くかを決める
のも、あんたの自由。みたいなムードがあった。


一応、関西圏では進学校としてかなりレベルは高いのだけれど、そんな
校風だった。自分としては、まあいい学校だったなとも思っている。勉
強の進み方はかなり早くて、ついていくのに苦労したというか、理系の
科目は高2ぐらいからほとんど放棄してしまった。数3とかはあっさり
零点とかとってしまって、先生も困ったやっちゃなみたいな感じで計算
問題だけの再テストをしてくれたり。


そしてこの学校はバックに大きなお寺がついているから、授業料格安み
たいなところもあった。確か同志社なんかの半分ぐらいだったはずだ。
その代わり学校が狭くて、グラウンドもないようなところだった。


それでも公立校へ通っていたよりはコストはかかっている。大阪から奈
良まで通っていたのだから、交通費だってバカにならない。そこで仮に
自分が中学から公立校へ行っていたらどうなっていたかと考えてみる。
人生は相当に変わっていたと思う。というか、たぶん、決定的に変わっ
ていた可能性の方が高い。ただし、どちらのコストパフォーマンスが高
かったのかなんてことは計測しようがない。


結局、公立校、私立校のコストの違いを価値で判断することは難しいの
だろう。これは客である入学志望者の側から考えても、判断がとても難
しい問題になる。そして経営サイドである学校サイドから見ても、自校
の特長を明確に出せないのだから、差別化を図ることが難しい。結果的
にわかりやすいのが、大学合格者数みたいなことになってしまうのだろ
う。


それでは、やはりマズいのだと思う。


最近はかなりポリシーをはっきり打ち出した学校が出てきている。たと
えば以前紹介した岡山の朝日学園、トヨタがメインとなって開校する全
寮制の海陽学園。和民の渡邊社長が引き取った郁文館など。企業が本腰
を入れて学校運営に乗り出すケースが出始めている。


それがどんな学校であるのかは、これからの話になる。しかし、少なく
ともポリシーのはっきりした学校が選択肢として存在するということは、
選択肢がないよりはずっといい。そして、できるなら、家庭の経済状態
に左右されずに、子どもたちに自由な選択肢を与えられるような状態に
なることがもっとも望ましいと思う。




昨日のI/O

In:
『古伝空手の発想/小林信也』光文社新書
『図解 夢をかなえる人の手帳術/藤沢優月』ディスカバー社
Out:
R社社長インタビュー記事


昨日の稽古:

・ミット稽古(左の使い方、距離のないところから突きの使い方)
・スパーリング(左に限定して、左構えで右に限定して、フリー)
※幸いにも左足の痛みは出なかった。だが、しばらく組み手をやってい
なかったから、上段がまた見えなくなっている。というか、目をつむっ
たりしている。やれやれ、また一からやり直しだ。