スタバの価値ってなんだろう


5ヶ月連続、既存店売上高・前年対比プラス


寒風吹きすさぶ、といっていいぐらいにきびしい外食産業の中でスターバックスが復活の兆しを見せている(日経MJ2月10日)。スタバの業績は2002年に一度どん底まで落ちこんだ。この時期の既存店売上高は前年対比で実にマイナス20%強、ボロボロである。


ふりかえってみれば、自分もやはり4年ぐらい前から一時的にスタバへ行かなくなったように思う(ホントですよ)。なぜかといえば、雰囲気が悪くなったからだ。スタバといえば、タバコを吸わせない店で、しかもぺちゃくちゃしゃべる客がほとんどいないのが魅力だった。一人客が多くて、みんなたいていは何かを読んでたり、ぼ〜っと物思いにふけったりしているような感じだ。


とはいっても、ただただ静かってわけでもない。モダンジャズが静かに鳴っていて、独特のムードがある。そしてテーブルの感覚が、それまでの喫茶店とくらべてすいぶんと広かったり、イスというかソファに凝っていたりと。ゆったりした雰囲気がとてもよかった。


なんというか、一種の「オシャレ」感があって、しかも落ち着けるみたいなね。そんなところに価値があったと思っている。


ところがある時期から、この微妙なオシャレ感が失われていく。なぜか。客層が変わったからだ。いまスタバがオシャレ、みたいな捉えられ方が週刊誌なんかで広まっていき、ちょっとやかましい人たちが押し寄せてくるようになった。マーケティング的にいえばイノベーターやアーリーアダプターからフォロワーへと客層がシフトしていき、イノベーターたちが感じていた魅力がどんどん失われていったのだろう。


とはいえ全体としては客数が増えているのだから、おそらく営業数字としては悪くなかったのだと思う。しかし、最初の頃のスタバが提供していた価値は、この時点でいったん失われてしまう。いつの間にか席数が増え、テーブル間も狭くなり、独特のゆったり感はなくなっていた。


街中にある『ほっとできるスペース、うまいコーヒー付き』といった価値が損なわれてしまったのだ。


おそらく、そうした変質にはフォロワーたちも案外に早く気がついたのだろう。彼らが「あれ? スタバって、こんなんだったっけ。あんまり雰囲気よくないじゃん、にしてはコーヒー高いじゃん(彼らは価格感度がとても敏感!)」となったところで、潮が引くように客足が遠のいていったのではないだろうか。これがスタバがどん底に落ちるまでのシナリオだと推察する。


でも、スタバはそこから見事に復活した。しかし、その理由は「スタバが何かしたから」ではないように思う。スタバが、ではなくて、むしろ客の方がスタバの新しい利用法を見つけたのだ。少なくとも奈良、京都、大阪、そして東京(といっても地域は限られているのだけれど)のスタバを見ていると、そうとしか思えない。


では、その新しい利用法とは何か。


答えはこうだ。つまりスタバは、そこで「何かをする」場所に変身したのだと思う。たとえば平日の4時ぐらいなら高校生がノートを広げて勉強している。それ以外の時間帯でも、たぶん大学生だと思うのだけれど、勉強している人がたくさんいる。あるいはノートパソコンに向かって仕事をしている人だって結構いる(その中に私も含まれる)。


堂々と、しかも時間を気にせずに仕事をしたり、勉強をしたりできる場所。これがいまのスタバの価値じゃないだろうか。とはいってもコーヒーだけで2時間も3時間も粘られたんじゃ、売り上げ的にはかなりつらい。そこで力を入れたサイドメニューがあたった。これがV字回復のカラクリだと思う。


何かするんだから、それなりに小腹もすくってことだろう。そこにちょうどいいオヤツや、ちょっとおいしそうなサンドイッチなどがあれば、ついつい頼んでしまうのは人情というもの。ということでスタバの売上で昨年大きく伸びたのはフード類だ。


それならスタバは、これからどうなっていくのか。


案外、このままで続いていくのではないか。なぜなら、いまのように街中で気兼ねなく「何かをする場所」といった価値を提供している競合が見当たらないからだ。そしてこうした場所に対するニーズがなくなることもない。


いまのスタバのざわめきは、意外にも仕事や勉強への集中を促してくれる。そのわけは、たぶん一時期のようにスタバを普通の喫茶店と同じような使い方をするお客さんたちがいなくなったからだ。仕事したり勉強するのにちょうどいい案配のざわめき。この雰囲気を維持できるなら、スタバのポジションは安泰ではないだろうか。



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