今どきの高校生はどうなっているのか


希望の大学に入学する:29%


大学全入時代なんてエントリーを書いたばかりだけれど、実はユーザーサイドでは大学へのニーズがかくも低かったのだ。これは日米中韓の高校生を対象とした調査結果の話(日経新聞3月2日)。


希望の大学に入学することを大事だと思うのは、中国、韓国の高校生で70%以上、アメリカが50%ぐらい、これに対して日本ではたったの29%だと。


非常に関心があることについては、各国の答えは
日本:漫画、雑誌、ドラマなどの大衆文化 62%
中国:将来の進路 64%
韓国:将来の進路 66%
米国:友人関係 64%、将来の進路 62%


日本の高校生の将来への関心がどれぐらいなのかは記事になかったのでわからないけれど、この結果はかなり問題があるんじゃないだろうか。調査対象は日本で約1300人ぐらいだというから、統計的には有意だろう。もちろん標本の選び方によって偏りはでるだろうけれど、それぐらいのことは配慮した調査になっているとも思う。


だから、この調査結果はある程度、いまの日本の高校生の現状を反映しているのだと思う。そう仮定すると、なぜ希望の大学に入ることが大事じゃないんだろうか。これが疑問だ。


この疑問に対しては、いくつかの答が考えられる。まずは、そもそも希望の大学を思いつかない、あるいはそんなことを考えたこともない可能性がある。これは希望の大学なんて大げさにいわなくても、いずれどこかの大学に入れるだろうという楽観的な見方があるのかもしれない。大学なんてそんなもん、ぐらいの認識ととればいいのだろうか。


あるいは大学入ってどうなんの? という疑問というか、あきらめというか。将来についての漠然とした不安というとうがち過ぎなのかもしれないけれど「大学入ったってしょうがねえじゃん」という諦念ですね。


その考え方の背景には、大学入っても仕方ない、一生懸命働いても無駄とか、必死に勉強したって意味がない、なんて連鎖が隠れている恐れがありそう。これはものすごく危険な考え方だ。だって自分の将来について、何の希望も持っていないってことでしょう。高校生ぐらいでそんなにも無気力になってしまってはどうしようもないんじゃないか。


「食べていける収入があれば、のんびりと暮らしたい」という考え方には、日本では25%が同意しているともいう。何か大人びているというか達観しているというか。ある意味では、いまの日本がものすごく恵まれていることの裏返しなんだとも思う。


将来のことなんかあくせく考えなくてもいい。だって今が何となく幸せだし、少なくとも好きなことできるし、ほしいものだってだいたい手に入るし、ご飯だって食べられるしと。親がいる限りは、貧乏で困ることもないしという状況なんだろう。


大学出なくても、とりあえずバイトしてればいいじゃん、なんて考えもあるのかもしれない。ちょっと働けば、ゲームしたり、漫画買ったりするぐらい稼げるしと。そういう生き方もありだとは思うのだけれど、それではきっと格差社会が固定化されていくだろう。


そして20代後半から30前ぐらいになって「しまった。もっとがんばんなきゃ」と思ったときに、がんばれない可能性が高い。勉強でもスポーツでもいいんだけれど、何かにがんばった経験を持っているかどうかで、いざというときにどれだけ踏ん張れるかが決まると思う。


もちろん、がんばることだけが人生だなんていいませんよ。がんばらない人生があってもいい。でも、人が生きていくということは、常に価値を交換していくことだと思うから。誰かに価値を提供して、その対価を得ることが生きることだと思うから。特別な才能に恵まれていない人は、少しはがんばって、自分なりの価値を誰かに提供できないと、生きていけないのではないか。そんなふうに思う。


そして人が何かの価値を生みだすということは、時間を使うということでもある。限りある命の、その時間を使って何かを一生懸命やるから、価値を生みだすことができる。その貴重な時間を、何の価値も生みださない行為に使っていては、やっぱり生きていけないようにも思う。


学校での教育、その前に家庭での教育が、根本的にどこか間違っているんじゃないだろうか。あるいは、今の世の中がそんなふうにしか見えないのかもしれない。相当にまずい状況だと思う。




昨日のI/O

In:
Out:
『Relation』誌原稿
吉田義男氏・インタビューメモ



昨日の稽古:

 ・カーツ散歩、腹筋、掌底