師を送る


空手の師、空研塾・奈良支部長が、一昨日で指導に一応の区切りをつけられた。


メンターがいない、メンターが欲しいなどといいながら、いつの間にか、この人が私のメンターとなっていたことに気づいた。


支部長とのファーストコンタクトは電話である。ほんの少し語尾を伸ばすしゃべり方に、なにか温かいものを感じた。空手道場の責任者なんて、どんなにいかつい人だろうと思って受話器を受けたのにである。勝手に抱いていたイメージとの落差に驚いたことをはっきりと覚えている。


初めてお会いしたときは、やっぱりえらいごっつい人やなあというのが第一印象だった。ごろんとした腕、ぶっとい足。体幹部にはぎちっと肉が詰まっている。そして背も高い。が笑顔がやさしい。笑うと目がなくなる。しかし、その目には力があった。


仕事柄、名前の知れてる人でいえば大臣やら首相の顧問だとか、あるいは田中角栄の筆頭秘書だったなんて人、さらには人間国宝から裏千家の家元あたりにもお会いしてきたが、こんなおおらかな目をしている人はいなかった。人を包み込むような目である。それが、いざ空手の構えとなると力が宿る。すごみを帯びる。なるほど武道家というのはこういう目をしているのかと思った。


今でこそ子どもの方が大人より多いが、もともと子どもを教えることなど考えていなかったはずだ。それが、ウチの子が第一号となって以来、いつの間にかどんどん子どもが増えていった。人数が増えると、当然いろんな作業をやらなくてはならなくなる。これまで教えたことのない子ども、それも最初はことばもろくにわからない幼稚園年中組のガキんちょを教える苦労はどれほどのものだったろうか。


それでも師は、いやな顔一つ見せることなく、むしろ私の子どものことをとてもかわいがってくださった。当然、自分の稽古をする時間はなくなってしまった。しかし、それを決していいわけにはせず、あちらこちらと傷む古傷と戦い、歳にも挑むように精進して二段位を取られてもいる。


さらに子どもたちが試合に出始めると、日曜日のたびに審判だ、審査員に来賓だとあちらこちらに出向いておられた。あとで聞いた話だが、他流派の試合にもできるだけ顔を出し、進んでお手伝いもされているようだった。


最初の頃は、よほど空手が好きなんだなあぐらいにしか思っていなかったのだけれど、真相は決してそんなのんきなものではなかった。「やがて、うちの子どもたちもうまくなってくれば、他流派の大会にどんどん出るようになるでしょう。そのときにフェアな扱いを受けるためには、他流の先生たちと少しでもよい関係を築いておく必要があるんですよ」とのことだった。


ご自分のところにも念願だった子どもさんが生まれたばかりで、本当なら貴重な休みは子どもと一緒に過ごしたかったはずである。しかし、そんな素振りはまったく見せられなかった。


そういった師の空手に関わる活動を見ているうちに、ボランティアということばの意味を自分なりに理解するようになった。


ボランティアとは、人のために自分を犠牲にするのではない。あくまで自分のためだ。つまり、これまで自分を支えてくれた社会に対して自分にできる返礼をする。その結果、自分もその社会の一員になれたな、と自分で思えるようになる。それがボランティアだと。そんなことを背中で教えてもらった。


自分も何かやらなくてはと思った。それが寺子屋になり、PTAになり、自治会からNPOへとつながっていった。ふりかえれば、無言のうちに、しかし確実に導いてもらっていたのだ。空手だけでなく、生き方についても。


ありがとうございました。
そしてお疲れさまでした。


これからもよろしくお願いします。


中西世司巳 支部長。押忍。



昨日のI/O

In:
『態度が悪くてすみません/内田樹
Out:


昨日の稽古: