チョイ悪か、ちょい枯れか。それが問題だ


79,917部


あの『LEON』の発行部数である。
http://www.j-magazine.or.jp/FIPP/FIPPJ/F/index.htm


『UOMO』『BRIO』『MEN'S EX』など同系統(と言っていいかどうかはちょっと疑問ではあるが)の雑誌の中ではトップである。今まで(というか今でも)『LEON』はパロディだと思っていたが、どうもそうではないらしい。なるほど『チョイ悪』なるキーワードは、恐らく私と同年代の男性の心に刺さったのだ。


実際に身の回りで、そのチョイ悪系ファッションに身を固めた人を見たことがないので、それがどんなものなのかは雑誌から想像するしかない。まあ『ニキータ』よりは浮いていないとは思うけれど、それでも相当に変じゃないのかとは思う。


しかしである。


自分がどんな格好をすればいいのかというのは、実は切実な悩みだったりする。正直なところ、よ〜わからんのだ。特に私の場合は、毎日仕事でオフィスへ出かけるわけではない。従っていわゆる仕事着がない。仕事といえばたいてい家ですることになるから、いきおいほぼ一年中ジーパンにシャツ(夏はTシャツ、これに温度に応じて上に何かを加える)といった格好になってしまう。装いについては、ほぼ何も考えていない。


しかしだ。それでいいのか、と反省するわけだ。


四捨五入すれば、齢もう五十である。五十といえば知命である。天から与えられた使命を自覚する歳である。もちろん、そんな大それた自覚は今のところまったくないけれども、それなりのカッコをしなくちゃならんのではないかと思わないこともない。


たぶん孔子さんの時代と比べると、我々の世代(私だけかもしれないが)は20歳分ぐらい幼稚なんだと思う。幼稚といえばおバカといった趣きがあるが、ポジティブに評価するなら「若い」ともいえるだろう。


しかし、それなりのスタイルがどんなものなのかがわからん。最近は古武道、古武術に関心があり、その手の本を読むにつけ、もしかしたら日本人には和服が合っているのではないかとは思う。とりあえず足もとに関しては、冬場を除けば下駄が圧倒的に気持ちいい。


あるいは体を動かす時には、ジャージより道着の方が身体に馴染むこともわかってきた。初めて道着を身につけたときは、特に下半身のスカスカ具合が気になった。それまではぴたっとフィットのジャージだったから、とても違和感があったわけだ。しかし、ひとたび慣れるといかに道着が機能的かがわかる。


すると、もしかすると和服も案外機能的なのではないだろうかと。


残念ながら和服を着たことは、まだない。だから、その着用感がどんなものなのかはわからない。とはいえ立体裁断で体の形に合わせてくれている洋服とは、まったく異なる考え方の装いであることぐらいは何となくわかる。おそらく和服は、それにあわせた動き方、着こなし方を要求するだろう。そして、その動きはたとえば歩く時なら「ナンバ歩き」となるはずだ。


などと考えてみるに、もしかすると和服を身につけているだけで、古武術的な体の動きを自然とマスターできるのではないか。そんな妄想もわいてくる。和服でちょい枯れ、なんてのも悪くないなと。さらに妄想をふくらませていきで和服で取材とか、和服で打合せ、ってのはどうなんだろうか。とりあえず相手に強烈な印象を与えることは間違いないのだろうけれど。


それにしても和服が似合う男の人って、一体どんな人なのかしらん。




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