経営者の役割とは


否定的評価67%


村上ファンドの功罪を問う経営者アンケートの結果である(日経新聞6月7日)。村上ファンドが与えた影響はと聞かれて「ややマイナス」との回答が57.5%、「大いにマイナス」の10%とあわせて67%になる。


まあ(無能な)経営者にとっては、村上ファンドほど恐い存在はなかったはずだから、そうした経営者たちが村上氏を否定的に評価するのもうなずける話ではある。


確かに村上氏逮捕後の報道を見ると、ニッポン放送株の売り抜けに関するだけでも「相当にあくどいことをやってたのね」といった印象は免れない。のだけれど、そんなのは今さらって感じも強い。ライブドアが買い占めを始めた時に、証拠は表に出てこなかったにせよ、村上さんが絡んでるに違いないって思った人はたくさんいるでしょうに。


そこで少し視点を変えてみる。つまり現時点での動向を離れて、思考実験をしてみるとどうなるか。すなわち『村上ファンドが誕生していなかった』ときの日本を考えてみるわけです。


すると昭栄や東京スタイルに対するTOBは当然、起こっていなかったはず。であれば、たとえば東京スタイルのように巨額の現貯金をただ抱えて眠らせている経営者も、その能力のなさを問われることはなかっただろう。


ここをもう少しストレッチして考えるなら、経営者の果たすべき本質的な役割が、未だに日本では意識されないままになっていた恐れがある。というか、ほとんど意識されていなかったのではないか。これほどまでに村上氏が騒ぎ立てた今でも、経営者の意識改革がすすんだかといえば、まだまだ怪しいわけだし。


その証拠に、5年ほども前に東京スタイルの一件で、経営者は新たな価値を創造するための資本運用を考えなければならないこと、経営者の役割はほぼこの一点に絞り込まれることが警告されていたにもかかわらず、阪神のようにのんびりした経営者がトップに居座り続けた企業があったのだから。


これは勝手な推測でしかないけれども、阪神と似たような経営者に率いられている企業は、たぶんまだたくさんある。株式を公開している企業のそうした経営者にとっては、今回の村上氏の逮捕はまさに天の恵みと受け止められているに違いない。


そう考えれば、村上氏には「功」の部分もあると思う。それは村上氏の言動や行動をキッカケとして、企業経営者の役割は何かとか、そもそも企業の活動とは何か、について考える人が生まれたことだろう。村上氏があれほどまでに「企業価値は」とか「経営者は何をしてるんだ」と騒ぎ立てなかったら、そうしたテーマについて考えなかった人も多いはずだ。


個人的には、ライブドア問題、村上問題を通じて板倉雄一郎さんから教えてもらったことが、大げさに言えば世の中に対する見方を一変させるぐらいの発見となった。


たとえば次のようなこと

企業活動の本質とは、資本を有効に運用して、新たな価値を創造すること。
経営者の役割は、この価値創造のメカニズムをいかにうまく運用するか、この一点に尽きること。
その経営者の差配によって企業が
 新たな価値を産み出せば(その価値を享受するユーザーが生まれ)、
 株価は上がり(株主にメリットが還元され)、
 給料も上がり(従業員にメリットが還元され)、
 税収も増え(自治体や国にメリットが還元され)る。
だから目的と結果を取り違えないこと。
価値を創造するのは、人でしかない。だから価値創造には時間がかかること。

等々を学んだ。


もし、村上氏がいなければ、こんな考え方と出会う機会もなかったわけだ。とするとたとえば販促企画一つを考えるにしても、あるいはマーケティングコンサルティングに関わる場合でも、軸となる考え方を取り違えていた恐れがある。


私の場合は、どちらかといえば企業の参謀的なポジションとしての気づきである。が、もちろん経営者の中にも村上ファンド誕生以後の出来事から多くの学びを得た方も多数いることだろう。そうした人たちが経営に対する考え方をしっかり学んだとすれば、それは村上氏の功績であり、もし村上ファンドがなければ、そうした気づきを得る人も今よりは少なかったのではないだろうか。


だからといって村上氏に罪がないなんていっているわけでは、まったくないので、そこのところ誤解のないように。村上氏の最大の罪は、巨額の資本を運用しながら、自らはまったく新しい価値を産み出さ(せ)なかったこと。資本を、他社の収益を奪い取るための手段として違法に使ったことにあるわけだから。



昨日のI/O
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『「質問力」のある人が成功する/服部英彦』
『陰影礼賛/谷崎潤一郎
※久しぶりに「いい」日本語のテキストを読んで、とても気持ちよくなりました。

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昨日の稽古:
 腹筋
 まだ痛風、全快せず