終の棲み家は南の島がいい


タクシー初乗り450円でオッと思い、晩酌セット1200円のボリュームにグッとくる。


「ええやん那覇」である。日曜日の関空発最終便で那覇に入り、昨日は那覇から読谷村を回り、伊丹行き最終便で戻ってきた。沖縄へ行ったといっても、観光したわけではなく、うまいもの・おいしい酒をじっくり味わったわけでもない。仕事で駆け抜けただけである。


が、今回の沖縄行きは自分の心の中に深く根を下ろす何かを芽生えさせた。それは終の棲み家をどこに求めるのか、あるいは自分はどこで死にたいかといった問いと関わる何かだ。どこで死にたいかは、どんなふうに死んでいきたいかと密接に絡む話であり突き詰めていけば複雑になるから少し措くとして、老後(をそろそろ真剣に考える歳になってきてますよねえ、50が目の前に迫ってくると)をどう過ごすかは、そろそろ極めて切実なテーマとなっている。


そこで沖縄はどうか。


実は沖縄へいったのは、これが二回目だ。前回はまったくの観光旅行で、空港からリゾートホテルへ行き、そこで過ごした後、那覇観光をして帰るといったお決まりのパターンだった。だから、そのときの印象は「沖縄って、なんて暑いところなんだ」とか「とりあえず海はものすごくきれいだな」といった月並みなものでしかない。


これに対して、今回は取材である。しかも取材テーマは沖縄ではなく、たまたまある会社の顧客企業が沖縄にあって、その導入事例記事を書くための取材である。地理的な要因など若干はこの島特有の事情が絡むにせよ、別に沖縄らしさを求めて話を聞きにいったわけではない。ただし、取材を通して沖縄の人と知り合うことができた。これが決定的な印象を与えた。あるいは観光ルートではない普通の沖縄を知った(取材先の一つが沖縄の普通のスーパーだったんですから)ことも大きい。「ええやん、沖縄の人」である。


たった一日だけの取材を通じて、沖縄は自分の中にしっかりと根を下ろしてしまったような気がする。それぐらいに「濃い」風土なのだ。光が濃い、雲が濃い、緑が濃い、海が濃い、そして人が濃い。こうした濃密さに囲まれているからなのかもしれないが、人がとてもおおらかだ。誰に対しても開かれている、といえばたぶん言い過ぎになるのだろうが、今回の取材でお会いした人たちは一様にオープンな方達だった。


インタビュアーとしては、インタビュウィーに対してできるだけフラットに接しなければならない。これが原則である。だが、今回の取材に関しては完全に冷静さを保つことはできなかった。出会った方、みなさん、とってもいい人ばかりで好きになってしまったのだ。


いい人がたくさんいるところは、暮らしやすいところである。最初にそんな刷り込みが入ってしまったからだろうが、道中で見かけた建物も、何となく住みやすそうな家ばかりに見えた。このあたりは少しひいきのひき倒し気味かもしれない。もちろん実際に暮らすとなれば、収支のバランスを現実的に考えなければならないのだけれど、支出については物価が少しは安そうである。だから収入を何とか工面できれば、この地で暮らすことは決して夢物語ではない。


であれば、今やネットのおかげで、仕事をする上での地理的制約条件はかなり緩やかにはなってきている。スカイプを使ったテレビ電話会議なんてことが一般的になってくるようなら、案外近いうちに今の仕事を沖縄でできるようになるかもしれない。東京・名古屋・大阪のいずれへ出るのだって飛行機に乗ってしまえば2時間前後、意外に便利な立地である。


今回知り合った人たちには空手家はいらっしゃらなかったようだけれど(仕事だったから聞かなかったけれど)、何といっても沖縄は空手が生まれた土地でもある。死ぬまで空手をやるとしたら、その意味でも沖縄はいいところなのではないか。なんてことを思う取材となった。


それにしてもスーパーのイベントで直に触れた沖縄弁、何を言っているのかほとんどわからなかったけれど、なぜか語調や語尾、あるいはイントネーションが韓国語に似ているように思えて仕方がなかった。


昨日のI/O

In:
『経営戦略としてのIR/三菱信託銀行 証券代行部』
『御社の営業がダメな理由/藤本篤志
Out:

昨日の稽古:

 ・レッシュ式腹筋、腕立て
 ・(普通の)腹筋、拳立て

昨日のBGM