テレビは生き残れるか


2000年:62億GB
2001年:125億GB(+63億GB)
2002年:200億GB(+75億GB)
2003年:320億GB(+120億GB)


人類が創りだした情報量の推移である(日本経済新聞7月27日)。我々はいま、情報が爆発的に増えつつある世界に生きている。上記の元データはカリフォルニア州立大学バークレー校の調査によるものだが、これをみれば1900年、つまり情報流通の手段として『紙』しかなかった頃の情報量は、せいぜい1億か2億GB程度しかなかった。


それが3年前ですでに320億GBである。このとんでもない情報爆発を引き起こしたのはインターネットだ。では一体、インターネットは何を変えたのか。


情報を創りだし、それを発信する手段はインターネットが出現するまで、ごく一握りの機関に独占されていた。新聞、テレビ、雑誌などのメディア産業だけが、資本力を背景に情報を集め、編集・加工し、発信する機能を持っていた。


ところがインターネットは、こうした情報の独占流通形態に風穴を開けてしまった。この穴が三つの要因、つまりネットのパソコンの高性能化(ムーアの法則による)、回線のブロードバンド化、ユーザーリテラシーのレベルアップによって爆発的に広がった。いまや誰もが普通に動画コンテンツを作り(中にはテレビの違法収録も含まれているのだけれど)、それをネット配信してしまう社会になっている。


こうした社会構造の変化の直撃を受けているのが、テレビ&広告業界である。


その兆しはすでに数年前にあった。アメリカで登場したTiVoなるサービスが、その先駆けである。TiVoはインターネットによる番組表の配信、配信された番組表に基づいたテレビ予約、予約履歴を学習することによるリコメンド機能などに加えて、ハードディスクに大量に番組を録画し、ユーザーは見たい番組を好きな時にCMを飛ばしながら見ることができるといった総合的なサービスを手がけている。


TiVoが登場した時点で、アメリカではテレビ業界と広告業界の崩壊が予測された。なぜなら、まず一番にはCM収入というテレビ業界、広告業界のベースとなる収益源が、その成立基盤を失ってしまうからだ。アナログビデオでもCMスキップの可能性はあったが、その場合はCMのたびにユーザーがテープの早送りをしなければならない。ところがデジタル録画であれば、瞬時にCMを飛ばすことがプログラム的に可能になる。ユーザーはボタン一押しで一瞬にしてCMをスキップできる。となれば、CMを好んで見る視聴者は大幅に減ってしまうだろう。


さらに誰もがテレビをリアルタイムで見なくなれば、プライムタイム(日本で言うゴールデンタイムですね)の意味もなくなる。つまり時間帯によって放送料金に差をつけ、高いメディアフィーを取ることもできなくなる。


「これはえらいこっちゃ」と一部業界では大騒ぎになった。日本でも広告代理店などは相当な危機感を持った。おかげで個人的には、日本一の広告代理店からの孫請けとして、サイトにアップされるTiVo関係の英語の記事を読んで、毎月レポートにまとめる、なんて仕事を2年ぐらいさせてもらった。


ともかく今のところTiVoは予測されたほどの普及はしていないようだけれど、いずれ広まっていくだろう。そしてこうした状況に追い打ちをかけるようにテレビ・広告業界を脅かしているのが、成果報酬型広告の登場だ。


「テレビCMが実際の購買にどれだけつながっているのか?」


これは永遠の謎であり、その正解を出すことはタブーとされてきた。答がないのだからスポンサーとしても判断のしようがない。だから「たぶんCMを打たなければ売れないだろう」といった憶測がまかり通ってきたのだ。ところがネット広告の世界では少なくともクリック保証型広告が常識となってきている。広告を掲示するだけなら無料、広告本来の役割を果たして(=バナーがクリックされ、目的のサイトまでユーザーを誘導して)はじめて広告フィーが発生する。


明快である。


ネット広告市場は、アメリカでも全広告マーケットの5%弱に過ぎないから大した影響力は持たないのかもしれない。しかし、スポンサーは『成果報酬型』を意識し始めている。つい最近も『トヨタが米テレビ界に一撃「印象に残らない番組はダメ」』なんて記事がネットに出た。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20060801/107256/?P=1


日本でも昨年の冬に、CMの力を疑わせる大事件が起こっている。
http://d.hatena.ne.jp/atutake/20060121/1137795656


テレビ・広告業界にはいま、その存立基盤を覆しかねない荒波が襲いかかっている。これを何とかしのぐべく新しいCMの手法がさまざまに開発されている。


曰く
プロダクト・プレイスメント
ドラマ型CM
投稿型CM
プロシューマー制作CM


さまざまなモデルが登場しているが、いずれも従来のテレビ・広告ビジネスモデルにとって代わるほどのボロ儲けはできないのではないだろうか。そうなると、テレビ番組に制作コストをかけることができなくなるから、質を維持することも難しくなる。その結果、先日の亀田戦のようなお粗末きわまりない番組が作られてしまったりする。


やはりマスコミの終わりの始まりが、始まっているのではないだろうか。




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