インタビューイーの立場


インタビュー歴数百回にして初めて


インタビューを受けた。最初から「これはインタビューです」との断りがあったわけではない。雑談というか、自己紹介というか、あるいは商談かといった話を続けていて、その中で「今日のお話を、我々のサイトで紹介させていただきたい」とオファーを受けたのだ。


あれま。これってインタビューじゃん。


相手は先輩と若手のお二人連れである。基本的に先輩とお話しし、そろそろ終盤かというところで「何か、ほかに聞いておくことはないか」と若手の方に水を向けると、では、とばかり。ここでテープレコーダーが登場する。「オオットォー!」てなもんだ。


自分が人の話を録音するためにレコーダーを使うことはあっても、自分の話しを録音するためにレコーダーを使われたことは(ややこしい表現だな)、生まれて初めてである。生まれて初めてのことは何でも、基本的に喜んでしまうちょっとオバカなところがある。なんか、すごくうれしい。


人の話を聴くことを生業としているがために、仕事とは関係ない状況でも基本的には聞き役にまわる。意識して聞こうとしているわけではないのだが、ついつい「それで?」とか「なるほど。では・・・」といった感じで、相手の話を引き出すような会話スタイルになってしまっている。それはそれで慣れてしまっているので、別段何とも思ってはいない。


不満があるわけでもなんでもないのだが、しかし。今年、近大で学生さんたちを前にショート講義をやらせてもらってつくづく思った。たくさんの人に、自分の話を、聴いてもらうことは、なんという快感か。もちろん壇上に上がると、アガルのである(シャレじゃないですけれど)。緊張もするのである。でも、気持ちいくもあるのである。


何だろう、この快感は。普段、無意識のうちに抑えている「しゃべりたい欲求」を爆発させる気持ちよさみたいなものなのだろうか。


そして図らずも昨日、また人に自分の話しを一生懸命に聞いてもらえる機会に巡り会えた。そこで一歩引いて考えてみるに、つくづく思うのは、やはりインタビュアーという仕事は幸せな仕事だということだ。だって、そうでしょう。インタビュイーは、よほど性格のひねくれた人とかも〜のすごく忙しくって一分一秒が惜しい人じゃない限りは、インタビューを受けてうれしいのである。


もちろん、インタビューする側はきちんと前準備をして、相手のことをわかる限り調べておいて、ゆめゆめ失礼なことはいわず、でもヨイショするだけじゃなくて、少しは相手の知的好奇心を刺激するような質問もきちんと用意して、といった条件をクリアしての話しだけれども。


その上でインタビューするわずかな時間の間に、取材相手の方となんらかの本当のコミュニケーションができた、と思えた時の高揚感。これは、自分がやっている仕事の中では、今のところ何ものにも替えがたい。もしかしたら、インタビューを受けてお金を貰えるようになれば、もっとうれしいのかもしれないけれど。


おまけに昨日は写真まで撮ってもらった。もちろんプロのカメラマンになんてわけはなくて、お二人連れの若手の方の方にだけれど、それでも「写真を撮らせてください」なんていわれて、写真を撮ってもらうのは、これまたなんか妙な心地よさがあるものだ。


なるほどねえ。いつもはインタビューする側でしかなくて、インタビューされる側の気持ちなんて考えたこともなかったけれど、これからは、もう少し、相手の気持ちを汲みながら取材に臨めるようになりそうだ。


智慧の環』シー・シー・アイの山寺さん、藤川さん、とても貴重な体験をさせていただいてありがとうございました。
http://www.ccidim.com/index.html



昨日のI/O

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昨日の稽古:富雄中学校体育館

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