教員免許に更新制は必要か


指導力不足506人


全国の公立小中高教員約89万8千人のうち、都道府県などから「指導力不足」と認定された先生の数だ。パーセンテージにしてわずかに0.056%に過ぎない。一見、とても少ない数字であるように思う。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060923/mng_____sya_____011.shtml


指導力の認定基準がどうなっているのか。つまり評価基準の明細がどうなっているのか、誰がどのような判断をしているのかはわからない。だからこの数字の妥当性について何かを言うことはできない。が、実感としては少なすぎはしないかと思う。


なぜなら、まず自分の子どもが通っている小学校ですでに少なくとも2〜3人は指導力不足の先生がいると聞く。知人の通っている学校でも、だいたい一校につき同じぐらいの先生が「ダメだ」なんて噂を聞く。もちろん、自分がその先生たちに直接会って話をした上でのことではない。あくまでも推測の域を超えない話ではある。


しかし仮に子どもの通っている小学校を例にとるなら、クラス数がだいたい25ぐらいである。単純計算で担任の先生の数も同じ、プラスアルファを見込んで先生の数が40人だとしても、指導力不足先生の割合は実に5%程度にはね上がる。


日本経済新聞によれば

指導力不足と認定されるのはかなりひどいケースで、氷山の一角。現場では副担任に回すなどして問題教員を教壇から降ろしていることもある

とある(日本経済新聞9月23日)。


このあたりが実態なのではないか。


もとより、これは先生だけの問題ではない。大きくは生徒の側の問題であり、それは引いては家庭での教育、あるいはそれ以前のしつけの問題に行き着く。仮に現時点で指導力不足と認定された先生も最初からそうだったわけではないと思う。いろんな要因が重なりあったために先生のやる気がどんどん殺がれていき、結果的に指導力がない、などといわれてしまう。そんな状態になっているのではないか。


何しろ、ひどい場合には板書するために生徒に背中を向けると、ハサミが飛んでくるのだ。そんな状態では指導力も何もあったものではない。


公立校での教育はいま、大きな変革期にさしかかっているのだろう。以前から書いているように、このままで放置すればほぼ間違いなく日本は格差社会へと突き進んでいく。なぜなら教育格差こそが格差の原点であり、中学生ぐらいまでの間についてしまった教育面での格差をそれ以降に取り戻すことは、95%ぐらいの子どもにとっては不可能に近いからだ。


では、どうすればいいのか。教育の現場で問題が起こる原因は、その関係者すべてにある。つまり先生、生徒、そして親だ。最終的には三者それぞれの意識を変えることが必要だと思う。しかし三者の意識改革を一度に進めることは無理だと思う。意識改革の難易度でいえば、親がいちばん難しいだろう(というか不可能に近いというのが当たっているだろう)。


であるならば、先生か生徒か、である。


まずは先生だと思う。安倍首相は「駄目な教師にはやめてもらう」(日本経済新聞9月23日)などといっているらしいが、個人的にはこうした発想は大嫌いだ。


簡単に「やめてもらう」などという前に、
●まず駄目な人を教師にさせない仕掛けが必要であり
●ひとたび教師になってからはその人を駄目にしない仕組こそが必要ではないのか。


もちろん先生だって人間である。しかも小学校では基本的に、たった一人で30人ぐらいの子どもたちの面倒を見なければならない。それがどんなにストレスフルで大変な仕事であるかは、少し想像力を働かせてみれば誰にでもわかるはずだ。そういう状況の中で何年も仕事を続けていれば、まじめに頑張る先生ほど疲れ切ってしまうのも当たり前の話だ。


であるなら、疲れた先生にはリフレッシュの機会を与える。そのためには一人ひとりの先生の現状がどうなっているのかを定期的に把握する。そうした制度が必要だと思う。駄目な先生をふるい落とすための、ではなく、先生の現状を掴みモチベーションを刺激するための教員免許更新制度、一刻も早く取り入れる必要があると思う。



昨日のI/O

In:
終日、ポルタにて取材
合計20人ぐらいの人から話を聞きました
Out:


昨日の稽古: