目的は何か


稽古とは


「稽」の意味は三つある。とどまる、とどめる。かんがえる。そしてくらべる(『漢字源』より)。ついでに「古」の方も確認しておくと、ふるい、もしくはいにしえとある。


転じて「稽古」には、三つの意味がある。昔のことを考え調べる、学問、学習をする、そして芸事や武道などを練習する。なぜ、わざわざ「稽古」の意味を調べたかというと、最近稽古について思っていることを確認するため。


キッカケは、一つの疑問からだった。


習い事といえば、基本的に易しいところから始めて、だんだんと難しいことをやるようになる。たとえばピアノ然り、勉強もまた然りである。スポーツの場合でも、最初は簡単なことから始めていき、どんどん難易度を高めていくはずだ。スポーツの場合の難易度とは、たいていスピードや強度などを増すことになるだろう。


練習方法も難易度に準じて変わっていく。ところが空手の場合は、どうも違うのではないかと考えるようになっていた。よその道場のことを詳しく知っているわけではないのだが、稽古の内容はどこもたいてい同じだろう。最初に準備体操をして基本稽古をやって、約束組み手、自由組み手、型と移り、補強をやって終わり。順序が違ったり、若干の入れ替えはあるにせよ、だいたいこうした流れになっている。


もちろん年代による違いややたとえば選手コースなど、筋トレとスパーリングオンリーみたいな場合もあるのだろうけれど、そこは少し違う次元の話としておくことにする。


すると、たとえばまったくの初心者も、あるいは十年ぐらい経験を積んだベテランでも同じ基本稽古をやる。うちの流派なら三戦立ちがベースで、正拳中段突き、上段突き、裏拳正面打ち、裏拳左右打ちと続け、騎馬立ちに移って下段突きと肘撃ちをやる。ここで不思議だったのは、キャリアを積んでも基本稽古はみんな同じ動作をやること。上級者には、上級者用の基本稽古があるんじゃないかと思っていたら、そうではなかったのだ。


ということは、基本稽古にはやはりそれだけの重要性があるのではないかと考えた。すると確かに、初心者にとっては初心者なりの、また上級者にとってはそれなりの意味があるのだと思えるようになってきた。


たとえば三戦立ちでの正拳中段突きである。この基本中の基本ともいうべき技が、よくよく見ると人によって突き方が全然違ってたりする。当たり前の表現になってしまうが、上級者ほど見ていてキレイなのだ。逆に初心者の方などは、やはりいろんなところに力が入りまくっていたり、ムダな体の動きが多かったりする。


ということは、この技一つとってみても、それだけの深さがあるということなのだろう。だから空手の場合、基本稽古はつねに自分がいまできているよりも、少し上のレベルを意識してやるようにしなければならないということだ。正拳中段突きの上位レベルの稽古とは、同じ正拳中段突きでありながら、意識するところが違うという話なのだと思う。


そこで冒頭の「稽」の意味が生きてくるように思う。つまり、かんがえ、くらべることが大切になるというわけだ。そして、おそらくはその集大成の一つが、やはり型なのだろう。


つまり型の稽古も、最初は動作とその順番を覚えることからスタートするが、自分の意識レベルに応じて、型を稽古する意味が違ってくるというか、深まってくるというか。型の動きの一つ一つに込められたいろんな応用の意味が見えてくるようになると、稽古のおもしろさの次元が変わってくるのではないだろうか。


そして、最終的には型をやり込めば、それがたぶん実戦でも使えるようになるはずだとは思うのだが、さて、そこにたどり着けるまでに一体何年かかることだろう。とはいえ、ここは逆に考えて、一生かけて追求していけるテーマがあると思えば、それはそれで楽しみでもある。これが武道のおもしろさだと思う。



昨日のI/O

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真弓氏インタビューメモ

昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・マット運動
・ミット稽古(スイッチしての蹴り、短い間合いでの鈎突き、肘打ちからの投げ)
・マットを使っての投げの稽古