温暖化リスクと仮説思考


2020年に90年比20%減


EUが打ち出したポスト京都議定書の温暖化ガス排出削減目標である。一見、とても厳しい目標設定に思える。京都議定書で日本に課せられた削減目標が6%減だった。ところが現状は90年対比で8%増である。だから目標達成のためには来年からの5年間で90年対比14%も減らさなければならない。にもかかわらずさらに6%上乗せした目標をEUは率先して設定しようとしている。


とはいえ日本にとっては別の見方もないことはない。仮に(現状では絶望的ではあるけれども)京都議定書の目標を2012年までに達成できたとすればどうなるか。90年対比でとりあえず6%減まで到達できれば、残りは14%。これからの日本には有利な条件がいくつかあるから、意外と楽に達成できるかもしれない。


日本にとっての有利な条件の中で何より大きいのが人口減である。2020年時点で正確にどれぐらい人口が減っているのかはわからないが、予測によればだいたい122,275(千人)ぐらいになるようだ(日本の将来推計人口/国立社会保障・人口問題研究所)。ちなみに2005年が127,757(千人)だから人口比にして約4%の減少となる。温暖化ガス排出量が単純に人口とリンクしているとは思わないが、ここはとりあえず4%ぐらいの減少が見込めるとしよう。


すると残りは10%。13年先の科学技術を予想するなら、たとえば電気自動車や燃料電池自動車、もしかしたら水素自動車などが開発されている可能性はかなり高いのではないか。またつい最近のニュースでは石炭火力発電でCO2排出量をほぼゼロにする技術開発に、アメリカを中心として日本、中国、インドなどが協力するとあった。この実証実験開始が確か2013年だったはずだから、2020年時点では、火力発電からの温暖化ガス排出量も相当に削減できている可能性がある。


もちろん、これは相当に楽観的な見方であることは間違いない。日本に比べれば温暖化ガス削減に関してはヨーロッパの方がはるかに先行しているし、有利なポジションにもある。だからEUはこれからの国際政治局面でのリーダーシップを狙って積極的な提言をしているのだろう。


ここで少しだけおさらいをしておけば、京都議定書の枠組みにアメリカ(世界第一の温暖化ガス排出国)、中国(世界第二の温暖化ガス排出国)、インドなどは参加していない。一方で日本に与えられた90年度比6%減という目標は、90年度時点で省エネに関して世界で最先端を走っていた(つまりこれ以上の削減余地が非常に限られていた)日本にとっては、相当に厳しい目標である。


だから経済界は断固一致して目標達成に取り組む、といった姿勢を今のところ見せてはいない。政府もこれまでは、京都の名前のついた議定書を守ることはもちろん大切だけれど、それでもアメリカが参加していないことを万が一のときの免罪符に使おうとしてきたような節がある。


確かにブッシュ大統領は、地球温暖化問題には関心をまったくといっていいほど示してこなかった。ただし、これまでは、である。ここで大切なのが仮説思考だと思う。


今朝の日本経済新聞によれば

安倍首相から温暖化防止策を急げと指示された関係閣僚の間には足並みの乱れがある。若林正俊環境相はEU主導の国際潮流に「米国が乗り、中国も受け入れるとしたら、日本はどうなるのか」と警告する。
<中略>
一方で、甘利明経済産業相は「EUの枠組みに米国が乗ることはありえないし、まして中国の参加は考えられない」と指摘する。
日本経済新聞4月23日・朝刊)


この二人の閣僚の考え方をみると、こんなリスキーな思考をする人が大臣で大丈夫なんだろうかと不安になる。若林さんは仮説思考である。一方の甘利さんは断定思考である。記事からは甘利さんが自分の意見の根拠を何かおっしゃっていたのかどうかまではわからないが、仮に何かの根拠をお持ちだったとしても、なぜ米国が乗ることはありえない、と断定できるのだろうか。


選択されなかった過去を振りかえってみるに、前回の米大統領選(極めて接戦であり、最終的には司法判断にまで持ち込まれた)で、ブッシュ氏に僅差で破れたゴア氏が仮にいま大統領だったらアメリカはどう動いていただろうか。ゴア氏と環境問題でリーダーシップを発揮しているブレア首相が、ブッシューブレア体制のように仲良くなっていたかどうかはともかくとして、アメリカが環境問題でもリーダーシップをとろうとしていた可能性はかなり高い。


もし次の大統領選で民主党系のたとえばヒラリー・クリントン氏が大統領となった場合、アメリカが環境問題に関してどう舵を切るかを、今の時点で断言することはごく控えめな表現でも「難しい」というべきだろう。ましてや30年とか50年スパンで物事を考える中国の人たちが、現状を放置していれば環境がどうなるかを考えていないわけがない。彼らはそれぐらいのロングスパンを踏まえた上で、つねにどうすれば自分たちに有利な状況を作り出せるかを考えている。彼らはそれぐらいに老かいである。


それに対して単刀直入な甘利さんは日本人受けはするのかもしれないし、よほどの根拠もお持ちなのだろうが、ここは百歩譲ってでも「もしアメリカが」とかあるいは「もし中国が」といった視点を持つべきではないのだろうか。



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