複素数的思考


√4=2、では√−4は?


答は「2i」ですね。二乗してマイナスになる数、すなわち虚数である。はじめて聞いたとき「なんじゃ、それっ」て思いました、たぶん高二のとき。そして数とは実数と虚数の組み合わせで表示できるとも教わった。ウソやん、中学生の時は二乗してマイナスになる数はない、っていうてたやん。あれは嘘やったの?


「君らが今まで勉強してきた数学ちゅうのは、実数だけの世界やねん。そやけどなほんまの数学の世界には虚数ちゅうのがあるねん。その虚数と実数を組み合わせんのが複素数いうてな、それでほんまの数学はできるねん」


たしか久保田先生のありがたいお言葉だったと記憶する。うちの学校では高二のときに数3を教わるのだが、最初にガツンとかまされたこのハンマーパンチのごとき意味不明な解説のために、数3をきれいさっぱり諦めることができた。建前上の理由は、数学の先生が嘘いうたらあかんやろ、そんな嘘つき先生のいうこと聞けるかい、である。本音は、もうあかんわ。これ以上数学が難しなったら、とてもやないけどついていけへん。やめとこ、文系に絞ろ、である。


おかげで一学期の期末テストでは数3で零点を取る始末となる。もっとも零点は私一人ではなく、文系組にほかにも何人かいたようで「しゃあないなあ。追試や」と、簡単な計算問題をやって下駄をはかせてもらったように記憶する。


さて、いきなりではあるが、ものごとをかんがえるときには、このような複素数的思考が必要なのではないかと、いきなり思ったのだ。要するに「そんなこと絶対にあり得へんやろ」という状況を無理矢理想定してみて、もしそうなるとしたら何が原因になるだろうとか(現時点での選択肢を広げる思考実験になる)、仮にそうなってしまったらどんな状況になるのだろうか(未来を仮説的に考える思考実験になる)と考えてみるわけだ。


たとえば、20年後の日本である。もちろんノーマルな思考としては、少子高齢化がますます進み、財政赤字はもはやどうしようもないところまで膨れ上がっており、引いてはとんでもない円安となってしまっている。優秀な企業と人ほどすでに海外へのシフトが終了済み。世界中で不足気味の食料も燃料も買うだけの金も細ってきており・・・。といった予想なら、割と普通に立ちそうだ。


ここに複素数的思考を持ち込んでみる。


20年後の日本は、ものすごく幸せである。なぜなら中華人民共和国・日本特別科学行政府として特権的な地位を確立している。その地位とは、優れた技術開発力を背景に、中国が世界に冠たる工業先進国であり続けるための研究開発に勤しむことによって担保されている。本土では不足しがちな食料も、日本特別行政府には優先的に割り当てられており・・・、みたいな。あまりぞっとしない未来ではあるけれど。


あるいはUnited States of Americaの中のファーイースト領土、強大化する一方の中華連合にくさびを打ち込む拠点としてのJapan Stateである。アメリカ合衆国51番目の州として、一応はエネルギーも食料も本土から配給してもらっている。ただし、ここも特別州扱いである。すなわち成人に対しては徹底した徴兵制度が採用され、子どもの頃から学業よりも格闘術、武器術、兵法などを叩き込まれ、男女の差別なく優秀な軍人となることを求められる。


まあ、どっちもあり得ない話だとは思う(最初の暗めの日本の未来像だって、あり得ないように持っていかなきゃならない)。もしかしたらロシアの極東州なんて事態もあり得るのかもしれない。ともかく、もしも、こうした複素数的仮定が現実化するとしたら、どういう状況の下で、どんな事件がキッカケとなって、世の中がそういう方向に動き始めるのかと考えることは、あながちムダではないと思う。


現にそうした経験を日本も、世界もこれまでにしてきているのだから。たとえば明治維新なんてのがその典型ではないか。鎖国によって世界の状況をまったく知らなかった江戸時代の日本人は、まさかいきなり軍艦がやってきて強引に開国を迫られる羽目に陥るなどとは、まったく考えていなかったはずだ。あり得ないことが起こったのである。


しかし幸いにも江戸末期の日本人は、極めて優秀だった。だから、このあり得ない事態をチャンスとばかりに文明開化の道を突っ走り、アジアの中でいきなりトップの座に躍り出た。この頃の日本人がいかに優秀だったかは、今に続く経済、科学、法律、哲学などの用語のほぼすべてが明治初期の日本人によって作られたことからもわかるだろう。


ともあれ、日本の行く末と行った個人の手に余る問題を考えるのもそれはそれで楽しくはあるが、もっと些末で身近な、私の十年後とか我が家の将来とかわが子の先行きなどについても複素数的思考を持ち込んでみるべきではないかと思う。


あり得ないことに備えるためにも、またあり得ないことを実現するためにも、やはり、あらかじめきちんと「あり得ない状態」を思い浮かべないことには、何もできやしないのだから。



In:
『街場の中国論/内田樹
Out:
某ソフト開発物語
テクノクラフト齋藤社長インタビュー原稿

昨日の稽古: