師と出逢えるか


心から師と呼べる人がいるかどうか


人生の充実度は、もしかしたら師と呼べる人物のあるなしで決まるのではないか。そんなことを思うようになった。時にかの剣豪宮本武蔵は「われ以外、人みな師」という言葉を残している(と吉川英治先生の本のどこかに書いてあった)。その心意気たるやよし。とはいえ、ここでいう「師」と武蔵の「人みな師」とは少し考え方が違う。


武蔵のいう師とは、学ぶべきところのある人ぐらいの意味だろう。これに対して「心から師と呼べる人」というのは、学ぶべきところがあるかどうかといった功利的な視点を超越した存在である。師の言うことは、無条件ですべて受け入れられる。そういう存在だと考えている。


師のことばが自分にとって役に立つのかどうか。そうした判断は一切やらない。ただ、すべてを受け入れるのである。たとえ、それがぱっとみ理不尽に思えたとしても、師の言葉には従う。逆にいえば、自分の判断などまったくスルーして、その人物の言うことを素直に聴ける相手、それが師である。


ではなぜ、そんな芸当が可能になるのかといえば、師が自分に対して「ためにならない」ことをする『はずがない』と信じ切れるからだ。


このように一種、絶対的な帰依をできる相手、それが心から師と呼べる人物だと思う。いうまでもなく、そういう相手は一歩間違えば、たとえばオウム真理教麻原彰晃となりうる。だから弟子となる人間には、師が麻原的人物なのか違うのかを見抜くだけの眼力が求められるのかもしれない。が、ここですでに矛盾が生じている。


相手が「師」足りうるかどうかを、弟子となる人物が判断できるはずもないではないか。師とは、そうした判断の埒外に存在する人物なのだから。だとすれば、図らずも自分が麻原彰晃的人物に絡めとられる恐れをどうすれば免れるのだろうか。


答は簡単なのかもしれない。免れる術はない、というか、それこそがその人の運命である、と。


世の中には不幸にして、師と思いあがめた人物がとんでもない詐欺師、山師であったというケースがあるのだろう。それもまた運命である。では、この運命にだけは人は逆らえないのだろうか。それも違うと思う。


そもそも自分が師と仰ぐ人物は、自分が求めていた道の上に現れるはずではないか。例えば何かの学問に努めていて学びの師と出会う、武道に関心を持っていて師範となる人物に巡り会う、手技を身に付けようとしてがんばっているときに師匠がふっと出てくる。


師の現れる前に、すでに自分がやっていたこと、あるいはやりたいと思っていたこと、その思いが満ちたときに師は現れる。だから、師を見誤ることはない。師は現れるべくして目の前に立つ、といっても良いのかもしれない。


おそらくは「わかる」のだろう、この人こそが求めていた師だということが。そして、そういう出会い方をした師ならは、間違いなく本物である。その佇まいがすでに、弟子として師のすべてを無条件で受け入れられるだけの何かを漂わせている。


それをオーラと呼んでも良いし、身に纏う空気感といえばよりぴったりくるのかもしれない。具体的には、その眼差しや言葉の音色で伝わってくる何かなのだと思う。仮にも相手が師であるなら、その人は何かの道について、長年にわたり精進を積み重ねてきた人物である。そういう人物は必ず何かを身につけている。


逆説的な言い方ばかりになるかもしれないが、その何かを第六感で感じとれるぐらいの時期こそが、師を必要とするタイミングなのではないか。だから自分が本当の弟子となり得るのであれば、師を見誤ることはないのだ。


もちろん、真の師の命じることがすべて納得のいくものであるとはいえない。むしろ、そのときには「何と理不尽な」としか思えない言葉を発せられることが多々あるのだろう。しかし、振り返ってみたときにすべて師の教えは正解なのだ。それが師なのだから。


故にそうした人物との出会いのあるなしで、おそらく人生の彩りは大きく変わってくるだろう。振り返ってみて、自分には長らく師と呼べる存在がいなかった。住まい、暮らし方さらに仕事を点々としてきたせいだろう、書物を通じてこちらが一方的に師と仰ぐ存在こそあったものの、それは生身の師とは言えない存在だ。


しかし40にして師と出逢えた。さらにその師を通じて、その師の師(ややこしい言い方だ)にも導いてもらうことができた。空手のおかげである。そうした出会いの貴重さをできれば息子に伝えてやりたいと思う。



昨日のI/O

In:
フェアリーエンジェル社インタビュー
『日本文化における時間と空間』加藤周一
Out:
N社アニュアルレポート用原稿


昨日の稽古:屋上道場

・基本稽古
・懸垂