年賀状は雑誌で作る時代



このエントリーは、R+さんから送っていただいた献本『MacPeople (マックピープル)2009/11/28発売号』を読んでのレビューです。



オリジナルで15年


年賀状のお話。印刷屋さんが昔の知り合いにいるので、賀状はいつも趣向を凝らして印刷してもらっている。その制作プロセスをすこしばかり説明するなら、ざっと次のようになる。


まずはなんといってもコンセプトである。何はなくともともかく表現コンセプトを考える。最初のころは干支を切り口にしていたが、しばらくして飽きた。以降は翌年の自分のテーマらしきものをコンセプトとすることにしている。


次にことばありき。すなわちコンセプトをピシッと刺さるように伝えるコピーを考える。一応、元コピーライターという肩書きも持っているわけで、今もことばを扱うことを生業ともしているので、ここは目一杯のこだわりが入る。伝えたい思いをギリギリにまで削り込み、キンキンに切っ先を尖らせた言葉を探す。思いを集約させようと、ここ何年かは漢字一文字シリーズでやってきたが、さて来年はどうしようかと思案しているところ。


そして一応、写真なども少々はたしなむゆえにコンセプトをイメージさせるビジュアルを使いたい。基本的には自分で撮影した写真である。折にふれて、もしかしたら年賀状にも使えるかもと思って撮りためた写真の中から、これはとジャストフィットするものをピックアップする。


最後にデザインはシンプルに引き算で仕上げる。盛り込む要素を可能な限り絞り込み、もうこれ以上削ぎ落せないところまで削ってからワンポイントだけ、何らかのデザインエレメントを加える。好き嫌い、得手不得手でいえば、ケイ線(昔の人にしか通じない用語を使うなら、裏ケイ)を一本引くのが得意だ。


という年賀状を作り続けてきたが、さて、来年はどうすべえか。これまでとは思い切ったチェンジをすべきではないのか。そんな思いが秋頃からずっと頭の片隅にあった。


なぜなら、来年は自分にとって節目の年になるからである。半世紀、50年、ジャスフィフに知命、あるいはジジ口(ジジィの入り口ぐらいの意味ですな)。どんな言い方をしてもいいのだが、とりあえず50歳になることだけは確実なのだ。


世が世なら平均寿命を超えるわけで、ということは一族郎党の中でも完全なる尊き長老格である。さはさりながら、我が身をじっくりと振り返ってみるに「長老」などという厳かな響きをもつ言葉は、残念ながらまったく似つかわしくない。


仮に「私も、今年は長老の一人として」とか「天に与えられた命に向かって」などとほざきでもしたら「なに、アホなこと言うてんねん」ぐらいのことはいわれそうだ。


ずいぶん話がそれた。そろそろ来年の賀状を作り上げないとまずいな、と焦り始めていたところ、タイミングを見計らっていたかのように届いた献本の特集が『年賀状安心パック』だった。これぞ天佑とばかりに記事を読めば、あれま。「そんなこと、できるんですか(byよしもと新喜劇内場勝則風に発音してください)」的サービスのオンパレードではないか。


至れり尽くせりというか、親切心満載というか。ただで使えるイラストいろいろ、プロのオリジナルイラストがあれば背景イラストあり、飾り文字にはがき全面イラストまで備えられている。これで今年の年賀状作りにはもう何の心配もない。しかも、これがすべて無料で手に入るとはありがたい限り。いやま、すごい時代になったものだと正直びっくりしました。


んで、おまけに来年が寅年なんだってこともわかった次第。ほんとにありがとうございました。そうか、干支が虎か。ということは、ここはやっぱり、一丁「吠え」んといかんだろうな。



昨日のI/O

In:
Out:
西成東京大学教授インタビューメモ


昨日の稽古:

・ジョギング
拳立て、腹筋