なぜ、太陽カレーにひかれるのか


スペシャル、一日3食限定600円


前回、太陽カレーさんに行ってから3カ月と少しが過ぎた。もう限界である。頭の中のどこかで「そろそろ太陽カレー、行かなくていいんですかい?」シグナルが出ている。そういうときに阪急に乗るのは、極めて危ない。つい、ふらふらと西院で下車してしまうからだ。まさに昨日がそうだった。


梅田で資料読みをした帰り、阪急特急に乗りこみ、淡路を過ぎたあたりではすでに熟睡に入っていたのだ。ところが、なぜか桂で目が覚め、あわてて特急からおりた。眠りに落ちる前「そうか、今日は西院によってもええなあ」ぐらいのことは思っていたが、まさか本当にそうするとは。「あっ、桂や!」と気がついた瞬間「下りな、あかん」と条件反射してしまったのである。


普段、仕事で関わっているB2Bマーケティングにおいては、ビジネスは価値と対価の交換だとしつこく繰り返している。対価を支払うこと、すなわち投資だ。投資対効果を冷静に判断し、効果(=価値)>投資(=対価)となることを確信できない限り、対価が支払われることはない。ところが、これがB2Cとなると話は変わってくる。生活者は、それほどシビアに投資対効果などを考えているわけではなく、判断には「その時の気分」が大きく影響する。などとしたり顔で説明しているのだが、さて。


太陽カレーさん、本日のスペシャルは『黒毛和牛のすじ煮込みネギカレー』である。限定3食である。それでいて600円である。


店に着いたのが12時50分、もうスペシャルは残っていないだろうなと思いつつ、念のため確かめてみると、まだあるじゃあ〜りませんか。ラッキー、今日は良い日である。頼んで待つことしばし。太陽カレーさんのカレーは、注文して「はいよ!」とすぐに出てくるわけではないのだ。一つひとつ、注文を受けてから、最後の仕上げをされて出てくる。


さて『すじ煮込みのネギカレー』といえば、普通はシャクシャクの刻みネギが、カレーの上にドカッと乗っかっている、と思うではないか。ところが、出てきたカレーを見ると、まったく違う。パッと見「えっ、おネギさんはどこにいるんですか」状態である。これである。そこに意味がある、太陽カレーならではの味わいが秘められている。



もちろんネギはちゃんと入っている。ルーのそこここにきっちり散りばめられている。なぜ『ネギカレー』をうたいながら、ネギがあたかも隠されたかのようになっているのか。その方がうまいからだ。確かにカレーの上にネギがどっさり乗っている方が見た目のインパクトは強いだろう。ネギ好き(ネギカレーと言われて頼むのは、普通ネギ好きである)には、その方がうれしいかもしれない。


でも、違うのである。それでは、ネギがネギ単独でネギの味を主張するが故に、カレーと一体にならない。などと考えているうちに気がついた。太陽カレーさんのカレーは『和のカレー』なのだ。これまでに食べてきた、いくつかのカレーが、すべてそう。具材をルーがやさしくなじませ包みこむ。ルーと具材がバラバラに存在するのではなく、常に両者が渾然一体となって、口の中でうまさのハーモニーを奏でる。


これはおそらく作り手の人柄によるものだろう。だから『ネギカレー』といえども、ネギはルー&すじに加えてご飯と溶け合っていなければならないのだ。とろっとろに煮こまれたすじに、時おりネギのややシャクっとした歯ざわりがありながら、すべては太陽カレールーのまろやかな辛みに包み込まれている。『和』である。これが「しあ『和」せ」につながる。


カレーを食べて「しあわせ」になってください。そんな店主の思いが伝わってくるカレー。それが、たったの600円。電車賃を使って行っても、十分に価値>>対価の関係をクリアしているではないか。B2Cにおいても、繁盛店はちゃんと価値>対価の関係をクリアしているのだ。



昨日のI/O

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君主論マキアヴェッリ
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昨日の稽古:

懸垂・ジョギング