正しい石けん



4回で明らかな違いが出た


石けんである。前回、『しょうが百花(マルセイユせっけん)』を使い始めて、肌の感覚が変わった話を書いた。そして、今回旅に出てみて、改めて石けんの力を思い知った。


泳いで、走って、泳いで、走って泳いでと、これまでに4回、シャワーを浴びたり、風呂に入ったりした。そのたびに体を洗う。部屋のシャワーブースには「TOKYO MILK」のbath gelなるボディソープが置いてある。サウナ付きの大浴場には、メーカー名不明のこれまたボディソープが、詰替えボトルに入って置いてある。


「TOKYO MILK」のミニボトルには、入っている成分が書いてある。メガネをはずさないと読めないほど小さい文字だ。ラウレス硫酸Naを筆頭に、なんだかいろんな化学成分がたくさん含まれているようだ。このbath gelを一回、風呂のボトルを3回使った。


だからといって、肘がガシガシにひび割れたとか、肌が急にかさかさになった、なんてことは言わない。そこまでは言わないけれど、肌の感覚が少し違う。これだけは間違いない。足のすねのあたりに、以前感じていた痒みが、ほんの少し出てきた。


これが要するに合成界面活性剤の働きということなのだろう。


もとより界面活性剤そのものが悪いわけではない。むしろ、界面活性剤がなければ、顔も体も洗うことができないのだ。界面活性剤とは、本来なら決して溶け合うことのない水と油を溶かしたような状態にするもの。だからこれを使えば、皮脂を皮膚から取り除ける、すなわちすっきりと洗うことができる。


ところが油成分を取り除くことは、肌にとって両刃の剣となる。すなわち、不要な皮脂は取り除くべきだけれど、残すべき脂分まで取り過ぎてしまうと、肌は守りを失うことになる。そこで人類の英知は「石けん」を創りだした。石けんとは、実は5000年以上も前から使われてきた界面活性剤なのだ。


そして薬事法では、身体洗浄料として「石けん」と「石けんでないもの(洗浄料)」に分類している。これを「正しい石けん」と「そうではないもの」と呼んでもいいのかもしれない。


「石けんでないもの」とは、合成界面活性剤のことである。「合成」の二文字が示すように、石けんでないものにはさまざまな化学物質が用いられている。だから合成界面活性剤を使っている製品は「石けん」を名乗ることができない。それなのに、なぜ、合成界面活性剤を使うのか。その理由は、コストである。


逆にいえば、合成界面活性剤を使わない「石けん」を作ろうとすると、コストが高く付くのだ。この場合のコストとは、原材料費と生産時間を意味する。化学材料を使って工場で短期大量生産するのが、合成界面活性剤なら、天然材料を使い、時間をかけて作られるのが「石けん」なのである。


もちろん生産コストは、最終的な価格に反映される。合成界面活性剤の入った洗顔用品やボディソープなどは、安い。『しょうが百花(マルセイユ石けん)』のように一個1800円する石けんは、一般的な感覚からすれば高いのかもしれない。


けれども、これで肌の質感が変わり、痒みが収まり、肘のかさつきがなくなったのだ。体を洗うのに使っても一個で一ヶ月は持つから、1日当たり60円である。これなら充分にメリットがあると個人的には思う。


それこそ余計なお世話かもしれないけれど、女性が洗顔剤などで顔を洗って、保湿だ何だとクリームやら化粧水などを使われているのをみれば、トータルコストはどうなんだろうと思わないでもない。


『しょうが百花(マルセイユ石けん)』で体を手洗いすると、あまり泡立たないので、いささか頼りない感じはあるかもしれない。でも、洗いあがりは、しっかりさっぱりしている。背中など手の届かないところだけはタオルも使うけれど、手だけで洗えるのは面倒がなくていい。


それにしても旅に出て、石けんのことを考えるなんて思いもよらなかった。

昨日のI/O

In:

Out:
某経済団体PRパンフレット用原稿
大阪大学経済学部教授取材テープ起こ

昨日の稽古:

ジョギング、スイミング