微笑み菩薩



shareKARASUMA偉人伝、第4回目は急な退職を発表された受付の勝本ちなみさんをご紹介します。


ご本人曰く「私はたぶん、喜怒哀楽の怒の抜けている人」


確かに。この人が不機嫌だったり、何かに怒っている顔を見たことがない。印象に残っているのは、いつも笑顔で「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言ってくれることと、その声のトーンと響きが、とても耳触りの良いこと。


「いってらっしゃい」と送り出されると、さあ、がんばろうとやる気が出る。「おかえりなさい」と迎えられると、帰ってきてよかったとほっとする。


一日に受付のカウンターの前を何人が行ったり来たりするのだろうか。その一人ひとりに、同じテンションで、変わらぬ笑顔で声がけしてくれる。安定感抜群、なので勝手に『微笑み菩薩』と呼ばせていただく。


働くのが大好きだという。だから、いつも自分で用事を見つけて動いている。つまりはshareKARASUMAで仕事をする会員さんが、少しでも気分よく集中できるように、自分に何ができるかと四六時中考えている。少しでも時間があれば、コロコロローラー(っていうのかな?)で床のホコリをとったり、雑巾がけをしてくれたり。


スリムで、笑顔で、優しいお母さんと聞けば、誰もがそのとおりだと納得するはずだ。ところが、その内には、実はとてつもない強さが秘められていた。根っからの負けず嫌いなのだという。といっても、無闇矢鱈と人と勝負するタイプではない。ただ自分に負けたくない人なのだ。


そんな彼女を象徴するエピソードがある。


中学時代、すこし(?)やんちゃをしていた彼女は、お勉強がいささか苦手だった。このままでは公立高校進学が危うい。そこで体育の先生に直談判で迫ったという。校内マラソン大会で必ず10番以内に入るから、実現できたら『5』をくださいと。


当時は副教科の点数を倍にして加算する制度があった。そこで彼女が目をつけたのが体育だ。ただし、小学校時代こそ運動神経は良かったそうだが、中学校に入ってからは帰宅部である。マラソン大会には当然、陸上部はじめバスケット部や他の運動部の生徒が出る。普段から練習で走っている競争相手に、何もしていない彼女が勝てるわけもない。


そう考えた体育の先生は、やれるもんならやってみな、と答えた。そして彼女の負けず嫌いに火が点いた。だからといって本番に備えて練習したりしないのが、菩薩流である。勝負は当日の一発勝負、そのかわり根性で走りぬく。


その戦術は、学年トップといわれている選手の後に、ひたすら食らいつくというもの。スタートからゴールまで、絶対に離されない。勝本式『死んでも食らいつく』戦術である。彼女は13キロの長丁場を、精神力だけで乗り切った。


結果、ざっと200名はいる同級生女子の中で3位を勝ち取った。高校合格も手にした。ずっと見入っていたくなるようなやさしい微笑みの裏側には、そんな強靭な魂が潜んでいるのだ。


けれどもホントは、因果関係が逆なのではないか。


自分の強さを自覚しているがゆえに、彼女は人に対してやさしくなれるのだ。すなわち彼女は人の弱さを許せる人なのだ。一方で彼女の強さは、初めてのお子さんの出産時にも存分に発揮された。


初産である。その痛みは、男性には決してわからないという。それほどの痛みに対して、ひと言も泣き言をもらさず、うめき声を出すことすらなかった。助産婦さんは、こんな人見たことがないと呆れたそうだ。


「だって、いくらわめいても、痛みは変わらないでしょう」


さらっと言ってのける彼女は、本当の大人である。だから幼いころから、まわりの友だちは言うまでもなく、おねえちゃんからも頼られた。おそらく、一つ上の視点から物事が見えているのだろう。そのため自然にかゆいところに手が届く。


そんな彼女の趣味は、意外にも(でもないか?)素潜りと、最近始めたサーフィン。将来は海のそばで暮らしたいという。潮騒に包まれて、ぼ〜っと海を見つめて時間を過ごす。その傍らには、きっと缶ビールの空き缶が転がっているはずだ(なにせ、ビールならどれだけ飲んでも酔わないと豪語されるのだ)。


言わせていただくなら『喜笑哀楽』の人である。


昨日のI/O

In:

Out:
某経済団体パンフレット原稿
某学習塾本原稿

昨日の稽古:

ジョギング、筋トレ