服は思考に影響を与えるか


3年生までなら30%、それ以上の学年なら5%以下


小学生でスカートをはいている女の子の割合である。あくまでも直感的データであり、私の住んでいるエリアで登校時に観察した結果、だいたいこんなもんだろうというぐらいの数字でしかない。しかし、制服で規定されている私立校は除いて、小学生の女の子のスカート姿は確実に減っているのではないだろうか。


と思って見てみるとスカート姿が減っているのは小学生だけとは限らない。そのお母さん方もGパンをメインにパンツ派が圧倒的である。そこで女子たるものスカートをはくべし、なんて時代錯誤的なことをいいたいわけではまったくない。


とはいえスカートとパンツでは機能面に大きな違いがあると思う。その違いが女性の行動に何らかの影響を与えていないか。さらに突っ込んで、もしスカートをはかずにパンツを身につけるようになり、女性の行動が変化しているとすれば、その変化は女性の思考にも何かの変化を及ぼしていないかと思うわけだ。


少し古い話になるが、私が小学生の低学年ぐらいまではおばあさんは家でも着物を着ていた。これが今から40年ぐらい前のことである。母親は勤めに出ていたから着物姿になることはまずなかったが、その頃の母親のパンツ姿というのも記憶にない。


小学校の想い出をたどれば、スカートをはいていない女の子はクラスに一人いたかどうか。冬でもみんなスカートだったように思う。だから男の子たちは『スカートめくり』なんてイタズラを好んでやったのだ。なかにはただめくるだけではなく、女の子めがけてスライディングしながら『スカートのぞき(という表現が正しいかどうかは議論の余地があると思うが)』に励んでいた奴もいたように思う。


ただしスカートをはいていた女子がか弱くて、いかにもおんなのこ女の子していたかといえば、そんなこともなかったように思う。特に高学年ともなると、たいていは女の子の方がませている。とりあえず口喧嘩ではまず間違いなくやり込められるし、スカートめくり(含むスカートのぞき)などしようものなら、蹴っ飛ばされるのがおちだったのではないか。その蹴っ飛ばされるのがうれしくてめくっていた奴もいたように思うが(あくまでも小学生時代の観察記憶に基づく推測であり、私自身のことではないので、そこのところ誤解のないように)。


寺子屋に来ている子どもたちに『私の好きな服』をテーマに、マインドマップを描いてもらい、その結果を作文に書いてもらったことがある。やはりみんなパンツが好きで、スカートは嫌いというか、スカートなんかはかない(ほとんど持っていない)と書いてきた。なるほど。


だから、どうなんだ? と答をせっつかれても、今のところ何も見えてはいない。機能性でいえば、スカートよりパンツ姿の方が動きやすいし、パンツなら万一スカートの中が見えてはといった心配もないだろうから大胆な動きをできるのではないかとか。スカートに象徴されていた女性性を子どもの頃から植え付けられないことによって、もしかしたら女の子の人生観が以前(つまりスカート多数派時代)とは変わってきているのかもしれないとか。そんなことを想像するばかりだ。


ただボーヴォワール女史はかつてこういった。
「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と。『第二の性』で彼女は、いわゆる女性らしさが社会的に作られた約束事に過ぎないことを看破した。


であるなら、四六時中身にまとっている装いが、その人の精神性にも何らかの影響を与えているはずである。スカートをはかなくなった女の子たちの心は、以前とはどう変わってきているのか。これはなかなか興味深いテーマだと思う。時にこんなテーマを研究している人って、どこかにいるんだろうか。



昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター 軽運動室

・組手立ちでの基本
・ミット(前蹴りと前蹴りからの突き)
・約束組手(蹴りに対する受け)
・自由組手

昨日のBGM

1962-1966/The Beatles
cannibalism/CAN
I am/Earth Wind & Fire
No Dice/Bad Finger
→たぶん、このアルバムの中の『No Matter What』が自分にとってのロック原体験だと思う。

No Dice

No Dice