ペンできれいな字を書きたい


1960年:約3000万本  2001年:157万本


40年でほぼ95%も減ってしまったのが、国産万年筆の生産量だ。さて、皆さんのまわりに万年筆を使っている人がどれぐらいいるだろうか。すこし自慢をすると(いったい何の自慢なんだか)、この20年近くメインの筆記用具としてずっと万年筆を愛用してきた。


といっても、何もモンブランだとかペリカンといったブランドものを作家気取りで使っていたわけじゃない。パイロット『ミュー』から始まり、同じくパイロットの『キャップレス』を3本ほど使い潰し、いっときウォーターマンの一本3000円(!)のチープカラフルシリーズに浮気し、今また『キャップレス』に戻っている。


インタビューの時には、相手の話を聞きながら万年筆でメモを取った。仕事の打ち合わせでも、いろんなノート(システム手帳やルーズリーフ、最近では「バブルマップ」にマインドマップを描くことが多い)に、やはり万年筆で走り書きをした。
http://www.ideaxidea.com/archives/2006/01/checkpad_15.html


なぜ、わざわざ万年筆を使うのか。やはり「書く」ことに、言葉では説明できないこだわりを持っているからだろう。独断と偏見に満ちた言い方をすれば「書くこと」こそが人間の証だと考えていて、であるならば「書く」ためには、できる限り自分の感覚にしっくりくる筆記用具を使いたいと思っているのだ。


本格的に万年筆を使い始めたのは、たぶん大学の頃だ。といっても授業にはほとんど出なかったので、その結果ノートを取る機会もめったになかったので、万年筆の出番はこまめに付けていた日記を書く時と、卒論を書くときだけだったけれど。


やがて社会人となって最初に配属されたのは印刷会社の業務係だった。ワンボックスカーに印刷用のフィルムを積み込み、印刷に使う紙を積み込み、印刷屋さんで印刷物を引き取り、それを加工屋さんに届けて、最後には室町の呉服屋さんに納品、みたいな仕事をしていたのでどうしてもこと細かなメモがたくさん必要になる。いちいち万年筆などで書いているわけにはいかないので、致し方なく会社から支給されたボールペンを使っていた。


しかし、ボールペンは使っているうちにインクがダマになって垂れてくるのである。あれがみっともなくて、イヤでイヤで仕方がなかった。重い紙を運んだり、無愛想な印刷職人さんの相手をするのはまったく苦にならなかったが、ドボッとインクの滴を落としながら字を書くことだけはがまんならなかった。


だから業務部から営業部に配置換えされた時には、営業の仕事そのものは死ぬほどイヤだったけれども、筆記用具に万年筆を使えることで、何とか不快感を耐えしのいでいた(そんなたいそうなものじゃないけれど)。


やがて印刷会社をやめてコピーライターの修業を始めた時は、以前にも書いたように0.9ミリのシャープペンシルオンリーだった。コピーライターは、一つのテーマについてキャッチを百本書かないと一人前とはいえないのである。だから原稿用紙にマス目を無視して、でっかくぶっとく丸っこく読みやすく、ガシガシとコピーを書き連ねていかなければならない。そんな作業にはさすがに繊細な万年筆は不向きだ。が、この頃も打ち合わせと日記だけはしつこく万年筆で書いていた。


そもそも万年筆を使い始めたキッカケは、中学の入学祝いにもらったパイロット『ミュー』があまりにもカッコよかったからだ。このペンは今見てもなかなか画期的なデザインをしていると思う。これにパイロットブルーのインクを入れて書いた文字が、中学一年坊主には幻想的に「大人」を感じさせてくれたのだ。
http://luckymarimo.blog7.fc2.com/blog-entry-459.html


もちろん中一のことだから字はへたくそだし、書いている内容も陳腐きわまりない。それでもなぜか自分が偉くなったような気がした。それ以来、万年筆できれいな字を書きたい、そのためにはせっせと書くしかないとやってきて、すでに35年が経とうとしている。


未だに万年筆を使い続けている。
未だに字をきれいには書けない。


その間、仕事用の筆記具(正確には筆記具とはいえないのだろうが)は、Macになった。と書いてみて気がついた。MacWindowsを比べてみると、まだMacの方が万年筆テイストを感じるのだ。これはちょっと不思議な感覚だ。


ともかく、これからもメインの筆記具としてはずっとMacを使っていくのだろう。ブログを書くようになってからは、手書きの日記を書く時間もなくなってしまった。だから打ち合わせの時の走り書きだけで万年筆の文字が、いつの間にかきれいになっているなんてことはあり得ないはずだ。作家や詩人が紡ぎだす珠玉の一行のようにじっくりと考えた結果を綴るわけでもないから、私の万年筆による字が何らかの味わいを帯びることも自分が生きている間はないだろう。


それでもいいのである。滑らかな紙に、ペン先から伝わるインクで文字を書き連ねていくことは、村上春樹風にいえば「小確幸」であることは否定できないのだから。でも、もう少し、字をきれいに書けるようになりたい。



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