『獄中記』佐藤優


勾留日数512日


国策捜査で東京拘置所佐藤優氏が勾留された日数は、優に一年を超える。しかも逮捕容疑は、背任・偽計業務妨害、法律にはまったくくらいから正確なところはわからないが、一般的には微罪だという。つまり通常なら早くて二、三週間、長くても三ヶ月で釈放されるぐらいの容疑である。


ところが佐藤氏は、一年以上も勾留されることになった。というか、むしろ正確には自ら進んで勾留された、あるいは釈放を拒んだというべきかもしれない。その間の緻密な思索が『国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて』に結実しているわけだが、この『獄中記』を読むと、氏がどれだけの知性を秘めている人物かがよくわかる。


検察との取引に応じれば、おそらくは一ヶ月も経たないうちに釈放されたはずだ。検索サイドもそう読んでいたはずである。本筋は鈴木宗男議員にあったわけで、佐藤氏はあくまでも鈴木議員へのとっかかりに過ぎない。それぐらいの認識だった検察は、佐藤氏の本質的な知性を完全に見誤る。


検察との取引に応じず、しかし同じ体制内思考をもつ人間として検察に対する無意味な対抗もせず、極めて戦略的にかつ緻密に、外部マスコミまでを動かしながら是々非々で対応する佐藤氏を、恐らくは検察も相当に持て余したのではないか。検察との攻防がどのようなものであり、最終的にどうなったか(控訴中であるために結審まではまだ時間がかかりそうだが)は、前掲『国家の罠』に詳しい。


この中で担当検察官とは最終的に、一種の戦友的感情を共有するに至っている。それぐらい佐藤氏は真っ当な人物であり、ポジションは違えどもお互いに大義を持つ人間同士なら、引きつけあわずにはいられない魅力的な人物である証だろう。


諜報に携わるエリートを佐藤氏は次のように記している。

そのような(ロシアの政治エリートに深く食い込んでいる)外交官は、十人十色ですが、いずれも話していて面白く、「また会いたい」という気持ちになります。
佐藤優『獄中記』岩波書店、2006年、201ページ)


もとより佐藤氏自身が、このタイプのエリートなわけだ。そして氏の精神は極めてタフであり、拘置所の中でも知的訓練を楽しみながら続ける。ドイツ語を勉強し、チェコ語を勉強し、哲学書、神学書を読む。獄中にいることを幸とし、規則正しく勉強と思索の日々を過ごす。


だから、後に自分で家を建てることがあるなら、拘置所に似た部屋を作り、思索と勉強の場としたいとさえ述べる。こんな人間を相手にするのは、検察としても相当に厄介だったはずだ。微罪でいいからでっち上げて拘置所に放り込み、そこで叩き上げれば「コロッと」転がるはず。特に佐藤氏を告発した外務省の腐れ(これは適当ではない言葉かもしれないが)エリートと佐藤氏も同じ穴の狢。であれば拘置所暮らしに耐えられるはずがない。そう検察は踏んでいただろう。


ところが、佐藤氏は稀に見る大義を踏み外さない人物だった。度量も、思考も、態度の決め方もすべてが桁外れのスケールにある。しかもその大義はあくまでも国益の追求であり、決してぶれない。尋問を重ねれば重ねるほど、検察サイドは自縄自縛に陥るリスクを抱えることになる。そもそもが大した罪ではないのだから。というか単なる言いがかりに過ぎないのだから。


この『獄中記』は、その佐藤氏が日々何を思い、どう考えたかを克明に綴っている。こうした人物が同時代人としている(佐藤氏と自分はまったく同い年であり、学生時代を同じ京都で過ごしている)ことを喜び、かつ自分のいい加減さを恥じ、これからの自分の心のよりどころの一人として持てることをうれしく思う。


昨日のI/O

In:
『獄中記/佐藤優
Out:
谷口栄一教授インタビュー

昨日の稽古

・レッシュ式腹筋、スクワット
・懸垂