未来を考えない人たち


少女を好きになったので、交際相手を殺すしかないと思った

つい最近、大阪南部でひどい事件が起こった。まだ確定していないが、ある高校の3年生が違う高校に通う一年生を河原に呼び出し、撲殺したという。その容疑者とされる高校生が取り調べでコメントしたのが冒頭のひと言。殺された高校生が付き合っていた少女を、容疑者も好きになった。だから「殺すしかない」と思った。


これだけを読めば、何と短絡的なと思うしかない。が、容疑者は実に巧妙な手口を使っている。どんな言葉をかけて被害者を呼び出したのかは知らない。が、殺害にあたって「これから心理テストをするから目を閉じて」と被疑者に語りかけたらしい。


その言葉に素直に従った被疑者を背後から殴った。用意していた木槌とバットで何発も。ここには、とてつもないギャップがありはしないだろうか。


そもそも被害者がなぜ、現場まで出向いたのか。これが大きな謎である。しかし「心理テストをしてあげるから目を閉じて」といわれて、その通りにしたのなら彼はおそらく何も疑っていなかったのだろう。あくまでも推測だけれど、容疑者はとても言葉巧みに被害者をおびき寄せたのだと思う。一方で、凶器をあらかじめきちんと準備していた。


すなわち容疑者は、殺害にいたるまでの一連の行動は綿密にシミュレートし周到に用意もしていたのだと思う。そこまできちんと考えていながら、なぜ、その先を少しでも考えなかったのか。ここにある恐ろしいまでの思考の断絶は、一体何が原因なのだろうか。


いくら恋敵とはいえ、相手を殺してしまえば、どうなるか。好意を寄せている少女が、自分のことを好きになってくれると本当に思ったのだろうか。その前に自分が殺人犯になること、何よりもまず警察が自分を疑う可能性が高いこと。逮捕されてしまえば、本来の目的であるはずの少女を手に入れられる可能性はゼロになること。


が、なぜわからなかったか。ほんの少しでも読めなかったか。


深刻さのレベルは異なるが、同じような印象を受ける事件がつい最近、もう一つあった。京都の大学生が集団で女子大生に暴行を加えた。問題は、その大学生の父親である。大阪府茨木市の教委青少年課長が、その容疑者グループの一人の父親である。この課長氏は、自分の息子が無期停学中であることを知りながら、茨木市の学童指導員に息子を採用していた。


採用を決定したのは、課長氏つまり暴行犯の父親である。もちろん、ことはマスコミの知れるところとなり、この課長氏は釈明会見を開くことになった。そこでのコメントが「人が集まらず(停学中の)息子に相談した。強姦で停学処分になったとは認識していなかったが、間違った判断で甘かった」である。


この人も、相当に想像力に欠けはしないか。市職員として課長職までなっているからには、それなりに仕事は無難以上にこなしてきているのだろう。それぐらいの能力、判断力はあると思う(もしかしたら事実はまったく違うのかもしれないが)。


ところが停学処分になっている息子を、自分が縁故採用し、それが発覚したときにどうなるかを想像できない。


もちろん一事が万事、これだけのことをもって大きなことを言うのには無理があるのは承知の上で、やはり「想像力に欠けている人が多い」と思うのだが。あるいは、将来のことをある程度の因果関係でもって考えることを面倒だと思う人が増えているといえばいいだろうか。そんな印象を持つ事件、振る舞い、言動を見かけることがとても多い。


『そんなんしたら、どうなるか、わからんのん?』といいたくなることが多い。思慮不足というほど考える必要などなくて、ほんの少しだけ先のことを考えてみれば、どうなるかわかると思うのだけれど想像力を働かさない。現時点での判断、特にそれが自分にとって有利か不利かといった判断はできるのに、その判断のちょっと先がどうなっているかに思いを巡らせることができない。


なんでやろ。



昨日のI/O

In:
某社IRインタビュー
Out:
N社アニュアルレポート用原稿


昨日の稽古:屋上道場

・基本稽古
・懸垂