ユニクロとデフレ



フリース10年、ダウンジャケットも10年


意外に持つなあ、というのが正直な感想。いずれもユニクロ製である。フリースは最初のブームの時に、いろんな色を集めるのがおもしろくて何枚か買った。そのうちの一着は昨春の引っ越しのときゴミを大処分したにもかかわらず生き残っている。十年一昔というが、まさに一昔前のフリースが、いまこうやってブログを書いている夜明け前の寒さの中でも、しっかりと体を温めてくれている。大したものだ。


ダウンジャケットなるものを初めて買ったのも、同じくユニクロだった。覚悟して大阪から移ったとはいえ、奈良の冬の寒さは想像以上に厳しかった。当時は幼稚園に通っていた息子を毎朝、自転車で送っていたのだが、冬の朝は本当に体が凍える思いになる。そこで何かしっかりした防寒具をと考えて手に入れたのがユニクロのダウンジャケットだ。


これを初めて身に着けたときの感動(というほどたいそうなものではないですけれど)は、いまでも残っている。学生時代には真冬でも革ジャン一枚でバイクに乗っていたこともあって、寒さに関しての耐性はかなり強かったはずだ。だから凍えるような真冬でも基本的には半袖のTシャツの上にシャツを着て、その上にジャンバーを被るだけでしのいできた。


ところが、さすがに40前後ともなると寒さに弱くなるようで、その頃からは冬が来るたびに寒いなあ、つらいなあと感じるようになった。奈良に引っ越してからは特に冬の朝の冷たさが身にしみるようになっていたのだ。とはいえセーターなるものはほとんど着たことがない、というかそもそも持っていない。下着の長袖のシャツさえ持ち合わせていない。防寒的衣料に関してはその頃、極めて慎ましやかな暮らしぶりをしていたのだ。


これはたまらんとばかり買ったのが、まずフリースであり、次にダウンジャケットだった(といってもユニクロ製だから本物のダウンじゃありませんよ)。これが驚天動地的暖かさである。どんなに寒くとも、上半身だけはまるでぽっかりと暖かな空気に包まれているような感じ。


上に着るものが一枚変わるだけで、かくも違いが出るのかとびっくりした。それまでは寒さに身を縮め込ませていたのが、このジャケットを着ることで、ぐっと背筋が伸びるような感じで体が楽になった。そのダウンジャケットも今回の引っ越しに際して、何とか京都に連れてくることができた。もっともダウンジャケット京都移転問題については、家人との間でいささかの諍いがあったことを告白しておく。


なぜなら、はっきり言ってみすぼらしいのである。着ている本人があまり目にすることのない袖の裏の部分には、何カ所か穴が開いているらしい。こういうところが横にいる人には、よく目に入るのだろう。そういわれてみれば、袖のまわりはなんとなくテカっているようでもある。


汚れが目立たない色を選んだ先見の明のおかげで、色目に関してもややくすんだかなといったレベルではあるのだが、その昔合宿に行ったときに撮ってもらった写真と比べてみると、全体的にスミ濁り(印刷の専門用語ですね)していることは否めない。が、逆にいえばそこまで着込んでいるわけで、自分の体にしっくりなじんでいることも確かなのだ。


それは、そのなじみ具合でいえば、例えば英国の貴族がとびきり上質のウールで編まれたジャケットを、袖がすり切れても当て布をして、何代にもわたって着続ける、のとは微妙に違うだろう。しかしである、そのコストパフォーマンスを考えたときに、ユニクロのすごさを思わずにはいられない。


仮に英国紳士のノーブルなジャケットが50万円ぐらいするとしよう。それを親子三代にわたって着続けたとして、その間ざっと50年。一年当たりのコストは1万円である。これに対して私が愛用しているユニクロジャケットの売価は、おそらく3980円ぐらいだったはずだ。それをざっと10年着ているとして、年間コストはわずかに398円に過ぎないではないか。


恐るべしユニクロである。もっとも10年着続けたからといって、そこにヴィンテージ的な価値が生まれるとは思っていない。けれど、もし、ユニクロの服をこのように長期間着る人が増えてきたら、そりゃさすがにデフレも進むんだろうなと思う(実際に、そんな人がそれほどたくさんいるとは思わないけれど)。



昨日のI/O

In:
『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹
Out:
O社社長さまインタビューメモ

昨日の稽古:

・LSD10キロ/1時間