ワクワクすること

あれ、なんか、妙な感覚がする


昨日、烏丸丸太町から市バスに乗り、鴨川を渡っているとき、胸が何かざわざわした。昔、知っていた感覚。去年も、一度だけ胸の中に沸きあがった、あの感じ。


そう「ワクワク」感だ。これから『七帝柔道戦』を見に行くのだと思うと、わくわくした。昨年も夏の終わり頃に一度、自分の心臓の震えを感じるほど、ドキドキすることがあった。ともかく、そんなワクワク感である。


見たこともないものを見るとき、やったことのないことに挑戦してみるとき、初めて逢う人から話を聞くとき、行ったことのない町に初めて着いた時、人はワクワクする。昨日読んでいた石黒先生の本にも、確か「初めてのことに挑戦するのが生きる意味だ」といったことが書かれていた。だとすれば、ワクワクすることこそが、生きる意味といえるのではないだろうか。


それほど大切なワクワクを忘れていた。


仕事柄、初めて逢う人からいろいろな話を聞かせていただく機会には恵まれている。ところがせっかく貴重な機会を与えていただきながら、新鮮さを失っていたのではないか。


初めての相手にもかかわらず、仕事だからという妙な慣れが生まれていたような気がする。この人は、こういう方で、こちらの質問にはおそらくこんな答えを返してくださる。といった予定調和な世界に甘んじていたのではないだろうか。


「仕事だから」を言い訳にしていたのかもしれない。仕事で冒険をして失敗したら、クライアントに迷惑がかかる。それは間違いなくよくないことだ。けれども、そこで、何かしらでも挑戦する気持ちをなくしたら、仕事はただの流れ作業になってしまう。そこには何のクリエイティビティもない。クリエイティブのない、例えば文章が、人の心に響くはずもない。


失敗することなく、それでも、どこかでチャレンジできる。それでこそプロではないのだろうか。


ことは仕事だけに関わる話ではない。毎日、同じ人と会い、代わり映えのしない会話を繰り返し、昨日と同じような時間を過ごす。それはとても快適だ。慣れ親しんだ世界にいれば、とても安心できて、気も楽に過ごせる。でも、そこに「わくわく」感はない。できるとわかっていることをやるのも同じだ


平均寿命とこれまで生きてきた時間を秤にかければ、残っている命の方が短い歳になった。だからこそ、毎日「わくわく」する時間を大切に過ごしたい。そのために、少しばかり人と違うことをし、いささか常識からは外れた人生を歩むことになったとしても、後悔はしない。


七帝柔道大会では、相手に抑えこまれて一本負けした選手が、人目をはばかることなく悔し涙を流していた。そこまで悔しいと思える背景には、試合までに過ごしてきた厳しい稽古の時間があるのだろう。


仮に今、自分が仕事で何か失敗したとして、心からの悔し涙を流せるだろうか。完成までのプロセスに、それほどの真剣味があるだろうか。


今日は色んな学びがありました。七帝柔道大会、正式には「全国七大学柔道優勝大会」、生で見て良かったです。

昨日のI/O

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Out:
某大学取材原稿下書き
某団体原稿下書き

昨日の稽古: