蒸留酒にヌーボーとは
「芋」ヌーボーなるものが11月に登場するらしい。
本格焼酎ブームが踊り場を迎えたために、焼酎メーカーが挑戦する新し
い売り方だそうだ(日経MJ9月21日号)。これが、どれだけアホなこ
とか。あるいは消費者をバカにしているか、おわかりだろうか。
確かにボジョレーヌーボーはある。ひと頃の勢いはないとはいえ、それ
なりに売れる。が、本当はヌーボーなんて、赤ワインとしてはそれほど
うまいものじゃないってことが知れ渡ってきてもいる。
あるいは(本当の)日本酒なら、しぼり立て生酒なんてのもある。その
冬の仕込みからできたフレッシュな酒だ。が、新鮮な分、少しあらさも
ある。熟成が進んでいないから仕方がないのだ。
が、焼酎にヌーボーですか。これがいかにおかしなものであるかは、ウ
イスキーヌーボーとかウォッカヌーボー、あるいはジンヌーボーなんて
ものがこの世に存在しないことを考えればわかる。そんなもん、ありえ
ないのだ。
そもそも蒸留酒にヌーボーとは、これいかに、である。いや厳密に言葉
の定義だけを考えるなら、別に蒸留酒にヌーボーがあってもおかしくは
ない。要するに、蒸留が終わったばかりの酒ということ。でも、ほんと
なら「それが、どしたん?」と突っ込みが入ってしかるべきである。
蒸留酒と醸造酒は、まったく別物の酒である。だから醸造酒であるワイ
ンや日本酒にはヌーボーがあっていいし、新酒には熟成させた酒とは違
う味わいも期待できる。が蒸留酒ではどうか? ヌーボーって何だろう。
めっちゃ粗いだけ、飲めたもんじゃないのではないか。
まさか「ガツンとくる、フレッシュな口当たり。これぞ芋ヌーボー」な
んて売り方をしないでくれよな。頼むから。焼酎だって、日本の貴重な
酒文化の伝承者なんだから。せっかく本格焼酎のうまさに目を開かれた
消費者にまで、そっぽを向かれるようなことだけはしないでほしい。
何年も寝かした焼酎、あるいは泡盛の古酒の十年ものぐらいが、どれだ
けまろやかで、しかも豊かな味のふくらみをもつかを本当の焼酎作りに
携わっている人なら、知っているはずだ。あるいはウイスキーだって○
○の何年ものというのに値打ちがあるわけでしょう。
本来、焼酎はそうした飲み物である。大手メーカーがどういおうが、流
通サイドからの要求がどうであろうが、本物の焼酎をきちんと作り続け
ること。これが焼酎メーカーが世の中に提供する価値でしょうに。
そうやってきたからこそ、本格焼酎の良さ(=価値)が認められたんじ
ゃないか。価値が認められたからこそ、それに見合う対価が得られるよ
うになったんじゃないか。それが「芋」ヌーボーなんてバカなことやっ
ていると、いずれ日本酒の「米だけの酒」みたいな本質矛盾なことを平
気でいったりするようになる。
そうやって日本酒はダメになっていったんだ。
頼むから焼酎まで、ダメにしないでくれ。