極意とは何か
肘打ちの稽古をした。
後ろにいる相手に対して、肩甲骨を使って肘を打ち込む。このときに注意されたのが、手のひねりだ。肘が相手に当たるときには、手のひらが上を向くようにと教えてもらった。
なるほど、こうすると力の入り具合がはっきりと変わる。そんな微妙なことで変わるのかと、いろいろやってみる。
たとえば
●手のひらを上に向けるのだが、こぶしは握り込まないまま。
●手のひらを上に向けて、こぶしをしっかりと握り込む。これは要するに正拳の時の引き手の要領ですすね。
●手のひらを上に向け、こぶしを握り込むときにひねりを加える。
●最初からこぶしを握ったままでいく。あるいは最初は手のひらを開いておいて、途中からこぶしを握り込む。
稽古中にはこれぐらいしか思い浮かばなかったが、もっとあるかもしれない。わかったのは、それぞれのやり方で力の伝わり方が違うということ。今のところは、最初は手のひらを開いておいて、こぶしをひねりながら肘を後ろに引く。しかも正拳突きのときの引き手の要領で、というのがいちばん効き目がありそうで、しかも速い。
こうした微妙なカラダの使い方は、たぶんすべての技に共通するのだろう。たとえば正拳突き一つとってみても、どこまでこぶしをひねり込むのか、どの段階でこぶしを握り込むのかによって、力の伝わり方は違うはずだ。
もっと突っ込むなら、相手のカラダのどこに当てるのかによって、本当ならもっとも効果的な突き方が変わってくるのではないだろうか。ものすごく単純な例で考えれば、水月に上から振り下ろすような突きを持っていくのと、下突きで当たった瞬間に手首をぐっと戻すのでは、与えるダメージが違うような。
なんて考えていくと、つくづく奥が深いなあと思う。ふだんはグローブをつけて稽古しているから、あまり微妙な感覚のことまでは意識していないけれど、そこを少しでも考えてやると、もっと武道的になるのだろう。というか年寄りは、力任せの練習ではなく、そうした意識をしっかり持った稽古をすべきなんだと思った。
昨日のI/O
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O社・プロモーション企画書原稿
昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター
・掌底での顔面突きをかわす稽古
・相手のタックルをかわす稽古
・相手に馬乗りになられた状態で下から突きを出す稽古
・突きのミット稽古(左だけ、右だけ、左右で、肘打ち)
・当たらない間合いでの組手稽古