ウィキペディアってなに?


192,578本


今日現在で、ウィキペディアに収録されている日本語の記事の数だ。ウィキペディアが何かと言うと、ネット上の百科事典である。そして、この百科事典は、みんなでよってたかって作る事典でもある。

ウィキペディアへようこそ。ウィキペディアは自由にご利用頂ける百科事典です。現在、ウィキペディア日本語版には約192,578本の記事があります。基本方針に賛同して頂けるなら、どなたでも記事を投稿したり編集したりすることが出来ます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/


ここで、たぶんまったく正反対の反応に分かれるのだと思う。


反応1:
それはすばらしい。みんなの知恵を持ち寄って、みんなが自由に使える無料の百科事典を作る。これこそネット時代の新しい知のあり方だ。どれどれオレにも何か書けそうな記事はないかな・・・。


反応2:
そんな、誰が書いたのかわからんような記事を信用できるもんか。そもそも記事を書く人間になんの資格も問わないのがおかしいじゃないか。それだったら嘘でも何でも書き放題になる・・・。


どちらの反応が正しい(あるいは誤っている)と考えるべきなんだろうか。あるいは、どちらの反応を善い(悪い)と考えるべきなんだろうか。


たぶん、これは正誤や善悪で判断するものではないのだと思う。そうではなくて、まったく新しい知の創造スタイルと考えるべきなんじゃないだろうか。


投稿についてはいくつかルールがある。中でもおもしろいなと思うのは、次のルール。

あなたが著作権を保持していない作品を許諾なしに投稿してはいけません! 他のウェブサイトや書籍などからの文書の転載(コピー)は避けてください。これはれっきとした犯罪です。


要するに、自分のオリジナルな記事を投稿しなさいってことでしょう。この縛りが実はウィキペディアの肝なんだと思う。たとえば今日アクセスしたメインページには、ただいまの秀逸な記事として『将棋』が取り上げられている。じゃあ、オレも一丁、将棋について書いたろかい、と思ってもそうは簡単には書けないってことだ。だって将棋については、人並みの知識こそあるものの、オリジナルな意見なんてものは、まったく持ち合わせていないのだから。将棋について何かを書く資格があるのは、将棋についてオリジナルな意見を持っている人に限られるわけだ。


このルールによって記事の真偽についての信頼性はともかく、記事のオリジナリティは担保されるシステムになっている。そしてオリジナリティがあるということは、たぶん読み物としておもしろいものである確率が高い。それでいいのではないか。


ウィキペディアで出会った何かの記事をおもしろいと思えば、そのテーマについての好奇心が刺激される。するとたとえば同じテーマについてGoogleで検索してみるとどうか、とか、リアルな百科事典にはどう書いてあるのかとか。いろんなことを自分で調べるようになるだろう。そうした行動の起爆剤ウィキペディアがなると思う。


もちろん、たいていの記事はそれなりに信用できるものだと思うが、その記事の信頼性についての最終責任は、それを読んだ人に委ねる。このあり方が新しいスタイルなんだと思う。そして、基本的には、みんなでよってたかって、記事の精度を高めていこう、いろんな関連記事を付け加えていこうというスタンスが、適切な表現ではないかも知れないけれど「あったかくて」いいなあと思う。




昨日のI/O

In:
『勇気凛々ルリの色/浅田次郎
『Think』No.14
Out:



昨日の稽古:

 加圧リハビリエクササイズ