わからないから、続く
おれ、お前のことが好きや
なんて告ったときに
A:うん、ウチも好きやで
と速攻、返ってくるのと
B:え・・・、ウチも・・好き
と間をとりながら(いささかはにかみでもしながら)答えるのとでは、
同じ「好き」でも、その意味するところに天と地ほどの差がある。なんてことが『先生はえらい/内田樹』に書いてあった。話はここからコミュニケーション論に発展するのだが、内田先生によれば、
コミュニケーションでは、意思の疎通が簡単に成就しないように、いろいろ仕掛けがある
と説かれている。この一文を読んで、まず「なんじゃ、それは。一体どういうことや」と訝り、さらに続きを読み従うにつれて、「ああ、コミュニケーションの本質は、まさにその継続性にあったのか」と気づいた。個人的には天地がひっくり返ったような気分である(熟語的にはコペルニクス的転回ともいう)。
ものすごく逆説的な表現になってしまうが、相手のことをお互いにわかり合ってしまえば、それ以上のコミュニケーションは要らないわけだ。「もう、わかったから(何も言うな)」状態とでもいえばいいのか。なるほど、何もかもがわかっている、イコールそれ以上知るべきことはない、を意味する。
もちろん時間と共に人間は変わっていくのだから、一定の期間を経た後には変化、成長(あるいは退化)した相手と話したいと思うことはあるかもしれない。しかし、人は基本的に新しもの好きで、移り気な生き物でもあるから、いったん「こいつのことは、もう何もかもわかってしまった(と切り捨てた)」相手と、再び面と向き合うのは優先順位から考えてずっと下位にランク付けされるであろう。
ところが、いつまで経っても「この人にはまだまだ私の知らないところがある。おもしろい、魅力的だ」と思えば、その人とのコミュニケーションを絶やしたくはないだろう。なるほど知らないという「感覚」は、知りたいという「欲求」とコインの裏表の関係にあるわけだ。
そして実は、この非完結性こそがコミュニケーションの核心だったのだ。つまりコミュニケーションとは、相手と何もかもをわかり合うことを目的にしてはいけない。もしわかり合ってしまえば、そこで関係は終わってしまう。そうではなく理想的なコミュニケーションとは、もっと相手を知りたい、わかりたいと思うあまりに、相手との交流関係を維持し続けることをこそ意味するのだ。
であるなら、真のコミュニケーションなんてものは、一人の人間が一生のうちに、何十人も何百人もを相手にして取れるものではないに違いない。もちろん個人的な能力の違いにも左右されるだろうが、それにしてもせいぜい二十人ぐらいまでが限度ではないだろうか。誰と(本気で)コミュニケーションする(というか、し続ける)かは、相当に注意して考えるべき問題なのだ。
ところで相手に自分のすべてをわからせないということは、何も自分を小出しにするなんてセコいやり方を取るのではない。むしろ、その相手と向かい合ったときには、いつも全身全霊を傾けて、力の限りを振り絞って語るのである。だからこそ、自分の限界をほんの少しであっても超えることができる。そこが相手にとっては新鮮に映る。「あっ、この人には、私の知らないところがまだある」と思わせる力になる。
そうやって自分という器のどこかを、ほんの少しでも押し広げることができれば、飛び出した部分とバランスを取るために、他の部分もほんの少しかもしれないが広がっていくのではないか。だから、ひたむきなコミュニケーションは、自分を少しずつふくらませ成長させてくれるポンプのようなものでもある。
問題は、そんな真摯なコミュニケーションを取れる相手とは、滅多に出会えないことだ。たとえば夫婦がお互いにとって理想のコミュニケーション相手であり続けるなんてことは、なかなか難しい。もし、そんな夫婦がどこかにいるとすれば、それは奇跡的な存在といってもいいぐらいだ。だってずっと一緒に暮らしていると、わざわざわかろうとしなくても、相手のことなんてほとんどすべてわかってしまう(というか見えてしまう)でしょう。
むしろ子どもは日々成長しているから、親にとってはいつも新しいなぞを秘めた存在となりうる。だから親は子どもとコミュニケーションをとりたがる。が、子どもから見た親は、一向に代わり映えのしない存在である。変わらないだけならまだしも、どんどん衰えていくというか、落ちぶれていく一方なので、そんな人とはあまりコミュニケートしたくないのも納得である。
じゃ、どうすればいいのか。ありきたりな答でしかないけれども、やはりいつも自分を磨き続けること。昨日とは、ほんの少しでいいから今日は違う自分になっていること。いつも主体的に変わり続けること。こんなところだろう。
といっても別に難しく考える必要はない。要するに新しもん好きであれ、好奇心一杯であれってことだ。これが人と満足の行くコミュニケーションを続ける秘訣(の一つ)である。