借家の時代は来るか


2005年:386万世帯→2025年:680万世帯


65歳以上の独り暮らし世帯は、今後20年でほぼ1.8倍に増える。高齢者世帯の約37%が独り暮らしとなる(日本経済新聞1月3日)。ということは世の中がどういう景色になるのか。


現時点での60歳以上の持ち家比率は約8割。この世代の持ち家とは基本的には家族四人(夫婦に子ども二人ですね)を前提としたものが大半を占める。当然、独り暮らしには広すぎる。というか、おそらくは使い勝手の非常に悪い住まいとなるはずだ。


しかも彼らが現役世代の頃に建てた家となれば、郊外立地が多いだろう。都心部から電車で一時間ぐらい、駅からだって歩いていくにはちょっと遠いぐらいの物件が多いのではないか。年寄りの足にはちいとばかし辛い可能性が高い。


利便性が悪く、使い勝手が悪いばかりではない。広すぎる家に日がな一日ぽつねんといるのは、普通の人にとっては寂しいものだ。それが戸建て住宅であれば、よけいにお隣さんとの交流なども途絶えがちになる。新興住宅地とした開かれた当初はほとんどが壮年世代で自治会活動なども盛んだっただろうに、それもいまや見る影もない。


というような状況に、たまたま今住んでいるところもなっている。全戸数170ぐらいの住宅地で(おそらくオープン当時は「高級」なんて冠もついていたと思われる)高齢者比率は50%を超えているだろう。お隣も、そのお隣も建坪70ぐらいの立派な住まいにお年寄りが一人で暮らしている。


自治会内の空き家数も十軒近くある。日経紙によればすでに空き家率はすでに10%以上に達しているという。日本は住宅余り時代に突入しているのだ。


個人的には70歳代の両親が健在である。京都から電車で30分ぐらいかかる滋賀県の、これまた駅から歩けば年寄りの足なら30分近くかかるような昔の新興住宅地に暮らしている。それなりの建坪と間取りはあるが、自分が25年ほど前に暮らしていた部屋などはすでに物置と化している。父親が使っていた書斎も物置、というより二階は滅多に使われていない。


足が悪くなり、階段を上がるのが億劫なのだ。この家を建てた当時両親は、まさか自分が二階までの階段を苦にするようになるとは思ってもいなかったことだろう。もちろんあの頃にはまだバリアフリーなる考え方もなかった。だから家の中いたるところに段差がある。年寄りには危ないことこの上ない。


しかもちょっとした台地を造成した敷地の上に建てられた家である。できた時には琵琶湖を一望にできるとか、近江富士も見えて絶景かななどと喜んでいたのが、今では上り下りが多くて年寄りにはしんどい限りだ。


というような状況になっているところが多いのではないか。そうした住まいを今からバリアフリーリフォームをするとなれば、数百万のコストは覚悟しなければならない。余命がどうなるかわからない中で、大きな出費をするのはリスクが大きい。空き家が増えるわけだ。


が、一軒家の空き家が増えることには良い面もある。子どもができて少しでも広い住まいを求める若い世代、できるなら子どもは都会ではなく環境の少しでもマシな郊外で育てたい家族らには、手頃な住宅が供給される可能性がある。


ニーズは確実にあると思う。もちろん築20年以上の家が多いだろうから、水回りやキッチン等を中心に手を加える必要はあるが、それでも街中の小さなアパートやマンションで暮らすよりはうんと気分がいい。逆に都心のこじんまりとしたマンションは、それこそ独り暮らしのお年寄り向けにフィットした住まいである。


ということはそうした古家のリフォーム(あるいはリノベーションといったもいいかもしれない)業に加えて、郊外に暮らす独り暮らしのお年寄りと街中で窮屈な思いをしている若い世代の住宅マッチングビジネスのようなものが、これから出てくるんじゃないだろうか。


これは単なる待ちの不動産営業ではなく、もっと積極的なマッチングビジネスである。古家に手を加えるのだって、デザインをしっかり意識したり、使い勝手をていねいに考えてリフォームする。それをネット=YouTubeを使えば、周辺環境から住まいの中の隅々までを動画で紹介することだってできる。


あれ! これってなかなか素敵なビジネスになるんじゃないだろうか。というか不動産案内にYouTubeなんて手もある。のじゃありません?



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