京都を原爆から守った論理


3マイル以上人口稠密地域の続く百万都市


第二次大戦後期、アメリカでは原爆開発が進められるとともに、その攻撃対象が検討されていた。いわゆるマンハッタン計画である。上記はその条件の一つであり、ほかにも一発の原爆で街の大部分が破壊される集中的形態の都市であること、8月までにまだ通常の空襲がなされず街が破壊されていないことなどの条件があった(毎日新聞1月14日『時代の風』)。


こうした条件を検討した結果、第一の候補となったのが実は京都だったという。京都こそは求められる条件を満たしているだけでなく、この街を破壊すれば日本人に壊滅的な衝撃を与えることができる。軍事的効果を検討する委員会では、原爆投下の最有力候補として京都が強く推されていたらしい。


ところが、当時の陸軍長官が京都投下に反対する。毎日新聞の記事によれば、そもそも長官が反対した理由は、彼が京都に対して個人的な好意を抱いていたからのようだ。戦前、このスチムソン長官は京都を旅し、その素晴らしさを身を以て体験していた。だから、彼個人としては何としても京都を原爆で破壊することは避けたいと考えていた。


しかし、そんな個人的な感情を陸軍長官という立場にいる人間が主張することは許されない。仮に主張することは許されたとしても、そんな主張が通るはずもない。何しろ戦争中、緊急事態なのだ。ことは国家の将来に関わる話である。最前線でまさに命を賭けて戦っている自軍の兵士のことも考えれば、陸軍長官としては何よりも合理的な判断が求められる。


そして委員会で合理的に検討した結果、攻撃目標として京都がもっともふさわしいとなった。それは理解できる。しかし、個人的には何としても京都攻撃を避けたい。そこスチムソン長官は、どう考えたか。


最終決定者は大統領・トルーマンである。彼が納得するロジックを考え、さらには検討委員会のメンバーにも、さらには米国民にも、最前線で死闘を繰り広げている兵士にも合理的な説明が求められる。もちろん、その説明に求められるのは、単なる合理性だけではない。ロジックに適ったうえで、実際の効用もなければならない。陸軍長官が自軍、引いては自国に不利をもたらすような決断を下すことはあり得ないのだ。


このあたりがロジックでモノを考える伝統のある国ならではの話だと思う。


さてスチムソン長官が最終的に出した決断は、やはり京都爆撃を禁ずるものとなった。では、彼はそこでどんなロジックを持ち出したのか。

日本人が「心のふるさと」としている京都への原爆攻撃は、戦後の日米関係を困難にし、日本人がアメリカではなくソ連の懐に飛び込む戦略的損失を招く危険性があると主張した。
(前掲、毎日新聞


この判断に見られるのは、京都攻撃の是非を、当面の戦略的意義ではなく、戦後の日米からさらには極東での軍事バランスまでを踏まえて判断する視点である。スチムソン長官が心の中で何をどう思っていたかはともかくとして、このロジックには説得力がある。そのためにトルーマン大統領は京都への攻撃を取りやめた。


このケースが教えてくれることは二つあると思う。一つには説得力のあるロジックとは、やはり思いに支えられているのではないかということだ。つまり初めに強い思いがあり、その思いを通すためにロジックが必要となる。逆にいえばきちんとしたロジックに支えられた思いほど人を動かす力があるということだろう。


もう一つ。ロジック同士のぶつかり合いで勝つためには、視点を変えることが有用だということ。スチムソン長官のロジックと軍事委員会のロジックを比べれば、どちらのロジックにも合理性、整合性はある。違いはどこにあったかといえば、視点のスパンである。すなわち委員会は戦時下であるのだから、即効的な効果を何よりも重視した。これに対してスチムソン長官は、戦後の状況までを見据えたロジックを展開した。


もちろん、目の前の戦いに勝たずして戦後のことを考えても意味はないわけだが、そこには第二次大戦後期の状況判断も当然加えられてのことである。そして、一般論になるがミクロ的な視点での判断よりマクロ的な判断の方に人はより合理性を感じる傾向があるはずだ。


ともあれ、こうした情に支えられた理によって、京都は原爆から守られた。だからといって広島、長崎に落としてよいというものではもちろんない。もう一つ突っ込んで考えるなら、恐ろしいほど多くの人を犠牲にすることなく、原爆の示威効果を日本軍と日本人に見せる手段はなかったのかと恨む。それができていれば、広島でも長崎でもあれほどまでに多くの人の命が奪われることはなかったのだから。



昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・移動稽古
・ミット稽古(回転系の蹴り)
・約束組み手
・自由組み手
・補強
※久しぶりにフルで稽古をやり、最後の方は頭が酸欠気味になってしまいました。