禁煙しますか?


ガマンする人56%、飛行機に乗る人19%


JR東日本管内の新幹線や特急が3月18日から全面禁煙となった。あるアンケート調査の結果によれば「公共交通機関で長距離を移動する際は禁煙席で我慢する」と答えた喫煙者が56%、少しでも乗っている時間が短くて済む(=禁煙時間が短くなる)飛行機を選ぶと答えた人が19%というお話(日経MJ新聞3月21日)。


飛行機に乗る人に対しては、そこまでして一刻も早く煙草を吸いたいのかあ、気の毒だなといささか同情する。すでに煙と縁を切った身としては、別に全席禁煙になったとしても痛くも痒くもない。どうってことのないニュースである。しかし、少しばかり不思議な気もする。今からほんの40年ほど前は、大人といえばタバコを吸う生き物であった。少なくとも大人の男性が十人いれば、まず九人までは嗜んでたはずだ。うちの場合はおばあさんも、ちょいといなせにキセルなどをふかしていた。そんな時代が確かにあったのだ。


ところがこの40年で状況は大きく変わる。別に愛煙家が集団自殺したとか、公害病のように集団的同時的に何らかの病に冒されたわけでもない。ある人たちがたばこを吸っていたが故に、世の中を「オッ!」と驚かせるようなことをしでかしたりもしていない。昔から何となく体に悪そう、悪いんだろうなと誰もがうすうす感じていたタバコの毒性が、科学的に明らかにされた結果である。そして今や世の流れとしては一方的にタバコ廃絶の方向に動いている。この一方向性の流れが生まれるメカニズムに興味がある。


タバコ呑みにとってはとんでもなく過ごしにくい世の中に、これからどんどんなっていくのだろう。ニコ中にとって今回のJR東日本の措置は、かなり応えるものとなるはずだ。特に頻繁に出張するビジネスマン喫煙者などは仕事を替えたいとさえ思う人もいるんじゃないだろうか。一応、昔は一日一箱ぐらいのスモーカーではあったから、ヤニ中とまではいかないまでも何となくのニコチン禁断症状がわからないでもない。


かわいそうだとは思う。でも、こういうとてつもなく大きな世の中の流れって、それがいったんできてしまうとあらがい難いものになる。


日経MJ新聞の記事によればいま、日本の喫煙者は2730万人と推定されるらしい。これが多いのか少ないのかは、人それぞれの基準によって感じ方は違うだろう。ただ今ではほぼ100%のオフィスが禁煙(それもかなり徹底したもの)となっている。もちろんレストランや居酒屋などではようやく分煙が定着しだしたところだから、こうした場所までが完全禁煙となるのには、まだ少し時間がかかるだろう。とはいえ5年前にニューヨークへいったときには、ほとんどあらゆるパブリックスペースが禁煙だったことを思えば、これからの日本でももっと禁煙が徹底されていくことはまず間違いない。


だからといってタバコなんて健康には百害あって一利なし、などと教訓を垂れるつもりも毛頭ない。おもしろいことに医者の知り合いははっきり喫煙派、禁煙派に分かれていて、その数は意外にも拮抗している。その上、お互いにもっともな理由を言い合って自分を正当化しようとする。さすがに医者のいうことだけあってハタで聞いている分にはどちらにも一理あるようでもある。


もとより医学的にタバコが有毒であることはすでに実証されているようだが、その有毒成分の影響具合には個人差もあることだろうし。タバコを我慢してストレスにやられるぐらいなら少々リスクを冒してでも気分よく過ごしたいという意見も、なんとなくそうかな、ぐらいは思わせる。


こうした禁煙・喫煙論議になるとたいてい出てくるのが、禁煙原理主義者のヒステリックなまでの喫煙者攻撃である。何しろ正義の御旗は禁煙にあるのだ。有毒性が証明されている煙草を、他人にまで害を及ぼすことを知りながら、公衆の面前で堂々と吸われるのはいかがなものか、と一気呵成に攻め立てる。


これに対して喫煙派はどうしても受け身にならざるを得ない。曰く「嫌煙権があるなら、喫煙権もあるはずだ」とか「そこまで一方的に喫煙者を目の敵にすることはないだろう」とか。状況を冷静に判断すれば、喫煙者が能動的に禁煙者に迷惑を掛けているのであって、その逆はあり得ないのだから、たばこを吸う側の旗色が悪くなるのは避け難い。もしかしたら喫煙者サイドからすれば、あちらこちらでうるさく禁煙をいわれるがために、ストレスが嵩じてがんに冒されてしまったという人もいるのかもしれないけれど、そうした不幸な事例が表面化することはまずない。


冷静に考えれば、煙草を巡っては真っ向から対立する二つの意見があるわけだ。そうした場合、正ー反→合というプロセスを経て、新たな高次に止揚された解決策が見つかる可能性を弁証法は教えてくれる。が、こと煙草問題に関しては、どうもそうしたメカニズムは働かないように思える。これは、あくまでも歴史の大きな流れであり、そのうねりは少なくとも自分が生きている間は不可逆的だとしか思えない。


おそらく禁煙派の最初の一声は、とても小さなものだったのではないだろうか。しかもタバコの有害性、たとえば吸いすぎたら気分が悪くなることや、空腹時にたくさん煙草を吸えば吐き気を催すことなどは、たばこを吸う人もわかっていた話である。そんなことはわかった上で、それでも多くの人がたばこを吸っていたのだ。そうした時代が確かにあり、しかもたばこ産業は国営一大産業あったにもかかわらず、いつの間にか禁煙派が大勢を占めるようになった。それも自分が生きているたかだか50年足らずの間で。この間のプロセスがおもしろいと思う。


ときに「禁煙なんて簡単だ。私はもう百回もやっている」と名言を吐いたのはマーク・トウェイン。幸いにも自分の場合は百回もチャレンジする前にあっさりと縁を切ることができた。ラッキーといえるのかもしれない。



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