体を使う


体を動かすことと、体を使うことは違う


ということが、よくわかった。昨夜の基本稽古である。たかが基本稽古というなかれ。これができない。そろそろ空手を始めて7年にもなろうかというのに、未だにいい加減にしか体を使えていない。


見たところ空手のような動きは、一応できてはいる。上段回し蹴りはさすがに足がスムーズに上がらないが、それでも勢いをつければなんとか構えてもらったミットぐらいは蹴れる。前蹴上げにしても、前屈立ちで後ろに引いた足を「せ〜の!」って感じで蹴りだせば、何とか頭の前ぐらいまでは足が上がる。


が、それは体を動かしているだけで、体を使っていることにはならない。


勢いをつけたら、そりゃ歳を取って筋肉、関節その他が少々固くなっていようと体は動く。ただし、この「勢いをつけたら」というのがくせ者なのだ。勢いをつければ無理が効いてしまうように人間の体はできているのである。無理が効いてしまうということは、文字通り体に無理を強いていることになる。それを続けると、どうなるか。


無理が重なれば、その部分が傷む。つまり膝を壊したり、股関節を痛めたりする。もちろん若いうちは筋肉も強くしなやかだし、関節だって柔らかい。だから無理が効く。というか、許容範囲内に収まる。そこからさきは個人的な資質により、無理が蓄積されていくのか、自然に理に適った動きになっていくのか。人それぞれということだろう。


ただし、本来の空手の体の動きは、もっと違うところにあるようだ。それがすなわち「体を使う」ということである。では、どう使うのか。理に適った使い方をするということだ。


理に適った使い方とはどういうことか。体に無理をさせない使い方ということである。なにやら禅問答のようになってきたが、たとえば蹴りを出すときのことを考えてみる。前蹴りを出す体の動きは、体を前へ、それも少し斜め上方へと足を投げ出すような動きになる。しかるに体を前に倒して、前屈みになって前蹴りを出そうとするとどうなるか。わざわざやらなくてもわかると思うけれど、そんなの蹴りにくいに決まっている。


これが極端な例ではあるが、無理な動きである。では、理に適った前蹴りの蹴り方はどうあるべきか。蹴るとき、すなわち蹴り足が地を離れた時点では軸足に安定的に体重が乗っていなければならない。安定して体重が乗るというのはどういうことか。軸足からの体の線が、まっすぐに天に向かって伸びている状態をいう。当たり前のことで、たとえば鉛筆をまっすぐに立てれば安定しているけれども、斜めにすると簡単に倒れてしまう。


さらに仙骨である。これがまだよくわからないのだけれど、この仙骨が上向きになっていないと、足を上に上げることはそもそも無理な話、だと塾長はいわれる。そもそも仙骨がどこにあって、どのような動きをするのかを理解していないので、何となくでしかわかっていないが、とにかく仙骨が大切なのだ。


この前蹴りを基本でやるとどうなるか。チェックポイントはいくつかある。まずは体が前屈みになっていないこと。勢いをつけようとすると、上半身が動きやすい。上半身で勢いをつけると、体が前に倒れることもある。さらにはたとえば右足で蹴る場合なら、軸足となる左足から上で体の壁がしっかりと作れているかどうか。体の左側に定規でも当てているようなつもりで、そこが斜めに動いたりしないかどうかをチェックする。そして仙骨を使う、イメージ的には腰の下の方を上に向けて振る感じといえばいいだろうか。


これが難しい。


回し蹴りとなると、さらに難易度が増す。回し蹴りこそは、ふだん勢いだけで蹴っているようなものである。これをたとえば中段回し蹴りでいいから、スローモーションでやってみると、どれだけきついことか。以前も足の筋力をつけるために、ゆっくりゆっくり回し蹴りをやっていたことがある。


が、本当の基本稽古の回し蹴りは、もっと難しい。というか奥が深い。つまり合理性がある。軸足にしっかりと乗り、体に軸を造るところまでは、前蹴りと同じである。が、実は回し蹴りの方が本当ははるかに体に負担をかける。膝の動き方を考えてみればわかるはずだが、膝は基本的に一方向にしか動かない。逆にいうとブラジリアンキックなどは、本来ならあり得ないはずの膝の動きによって蹴りが繰り出されるが故に受けをとりにくいわけだが、そういう動きはおそらく膝に負担をかける。


その一方向にしか本来動かないはずの膝を、それでも勢いをつけて蹴ることによって、ちょっと無理させながら回し蹴りを蹴ったりしているケースが多い。それでは、まず第一に膝によくないし、武道的に考えても理に適っていない分威力がない。それをきちんと蹴る稽古を昨夜、つけてもらったのだが、これがむずかしい。まずいかに体が安定していないかを思い知ることになる。そこから直さなければならない。


ポイントは骨盤を安定させることであり、そのためには足の開き加減から見直していかなければならない。そして軸足にきちんと乗る。この感覚を身につけること。そこから先は鍛錬になる。毎日、少しずつでもきちんとした蹴りができるように、鏡でも見ながら自分で稽古するしかない。


しかし、こうした基本稽古のやり方に取り組めば、おそらくこれから(要するに50歳から後ということですね)も空手を続けていくことができるだろう。それも、たぶんに実戦的な空手をできるんじゃないだろうか。もちろん、体力勝負、スタミナ勝負で若い人とガンガンやり合うのは無理だとしても、組み手稽古では無理な力を入れることなく(=脱力した状態で、すなわち速く動ける体制で)、そこそこ威力ある業を繰り出せるようになるはずだ。


年寄りこそ、きつくても基本。これが空研塾の空手の深さ、だと思う。



昨日のI/O

In:
『人間と聖なるもの/ロジェ・カイヨワ
Out:
対訳君開発者インタビューメモ
『えきペディア』説明パンフレット

昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター

・基本稽古
・ミット稽古
・組み手稽古