なぜ海外旅行をしないのか


10年間で4割減


20代の出国者数である。2006年は過去最高だった10年前に比べて6割強に落ち込んだという(日経MJ新聞2007年10月19日付け)。記事によれば、20代の関心は海外旅行から「国内旅行」「温泉」「貯金」などの内向き志向へのシフトが見られるという。なぜだろうか。


もっとも我が身を振り返ってみても20代では海外になど行っていない。もちろん今から30年近く前の話である。当時は大学生で海外旅行に出かけるなんてのは極めて少数派だった。大学のクラスメイトでも海外旅行に出かけたのは、ほんの二、三人しかいない。まだまだ海外旅行にはお金がかかる時代だったのだ。


そして恐らくは1996年頃に(すでにバブルが弾けてからというのがちょっと不思議ではあるけれども)20代の海外ブームが訪れたのだろう。それに比べて今の20代は、というのが日経MJ紙の問題提起だ。


ところで彼らはなぜ海外に行かないのか?

「高い料金を払ったあげく想定外の不快な思いはしたくない」という土屋さんの感覚は、海外旅行をしない若者たちに広く共通する
(前掲紙)


ふ〜ん、そうなんだと読み流してしまいそうになるけれど、ちょっと待てである。記事には「想定外の不快な思い」とある。ここを少しだけ突っ込んでみると海外旅行で味わう思いとして次のような四種類が潜在的に想定されているとも読める。


すなわち
想定外の快適な思い
想定内の快適な思い
想定内の不快な思い
想定外の不快な思い
である。


恐らく、これでうれしい順に並んでいるはずだ。つまり想定外のうれしいことはめっちゃうれしいのである。逆に想定外の不快な思いは、めっちゃ嫌なものである。たいていの人がそうだと思う。そしていくら情報化が進み、海外事情が居ながらにしてわかるようになったとはいえ、やはり海外に出かければ想定外のことが起こることだろう。


そこにはめっちゃうれしいことの起こる可能性とめっちゃ嫌なことの起こる可能性が併存している。どっちに転ぶかは運次第みたいなもんだ。それがおもしろいから海外に行く。私はそう思っていた。


もちろん、わざわざ不快な目にあうために海外旅行するほどマニアックじゃない。が、日本では考えられないような不愉快な思いをすることも、おもろいやないかと受け止めることはできる。逆にいえば何もかもが想定内の快・不快だけじゃおもしろくないではないか。


おもしろいか・おもしろくないかは、快・不快とニアイコールではあるけれども、決して完全にリンクすることはない。むしろあらかじめ予想された通りに物事が起こるなら、それは明らかに「おもしろくない」範疇に入るのではないだろうか。


だからあえて一人で海外に行ったりするのだ。ということは、少なくとも海外旅行を厭う20代の人たちの中には、基本的に何でも想定内である方が望ましいと考える人が多くなっている可能性もある。その是非をここでは問わないし、良い悪いの問題でももちろんない。興味があるのは、なぜそうした傾向が生まれたのかという背景(社会、教育、家庭などさまざまな要素が考えられる)の方である。あるいは考えるべきは、そうしたトレンドが今後強まったときに、自分の子どもにどんな影響があるのだろうかといったテーマだ。


これから先の話なのであくまでも推論の一つにしかならないが、仮に日本が、いろんな出来事が想定内であることを望む人が増える社会になったらどうなるのだろうか。高齢社会で世界の最先端を突っ走る日本だから、これまた予定調和を求める人たちが多数派を占める社会としても世界初のポジションを獲得するのかもしれない。


しかし、人生が何ごとも想定内の出来事で埋め尽くされてしまったら、それは楽しい人生といえるのだろうか。少なくとも私にはそうは思えない。


個人的には海外一人旅は、自分を考えるための最高の投資だと考えている。自分のことを知る人が誰もいない街、言葉さえもろくに通じない街で一人っきりになると、いやでも自分と向かい合わざるを得ない。そうした環境を作るためにも海外一人旅は良いものだと思うのだけれど。



昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター・軽運動室

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