合格までの道


受験番号112


昨日、合格発表があった。定員195人に対して、受験者総数が600人足らず。実際には合格後他校に流れる人数を織り込んで280人ぐらいが合格となるので、実質的な競争率は2倍。とはいえ、親としては、ものすごくハラハラものである。


塾が事前に行う合否判定テストでは、一応合格圏内に入っていた。30年分ぐらいの蓄積データに基づいた判定なので、それなりの信頼性はある。とはいえ説明会で「あの学校だけは、合格圏に入っている生徒が不思議と落ちることがあるんです」などと言われては、とても安心できるものではない。


そして昨日の合格発表を前にして、えらいことに気がついた。もし、この本命校に落ちたら、息子はどうなるのか。昨日はもう一校の試験日でもあった。が、こちらは「受かれば、儲けもの」ぐらいの気持ちで試験に臨んでいる。正月早々、試しにと受けた学校に合格はしているが、まさか中学生から函館で寮生活というのは考えられない。


となると、今日の本命校に合格できないとどうなるのか。


彼の4年間の努力が何も報われないことになる。もちろん、学力は飛躍的に伸びている。だから、本命校なら合格と評価してもらい、そのワンランク上の学校も受かる可能性あり、と推してもらったのだ。が試験とはシビアなものである。


どんなに努力を積み重ねてきても、その日の体調に左右されることがある。たまたま、最初に取組んだ問題が自分の不得意分野だったためにうまく解くことができず気が動転してしまい、本来なら簡単に解答できる問題までケアレスミスをすることだってあるだろう。


だからといって試験官には、そんな個人的状況はわかるはずもないし、わかったとしても合否判定にさじ加減を加えることはできない。すると彼のこの間のがんばりは、少なくとも合格というカタチでは報われないことになる。


などと想像は悪い方にばかりふくらんだ。そもそも試験当日、会場から出てきて息子の最初のひと言が「あかん。理科でおだぶつした」だったのだ。続いて「後期試験(わずかだが採用枠がある)の準備しといてや」である。本人がそういうのだから、それぐらいのできだったのだろうと思うのは当然だ。


故にとても不安な日曜日を過ごし(一日で何回ため息をついたことか)、昨日も「何とか、難しい方の学校に受からないものか」などと望外な願をかけたりしていた。


そして昨日、試験会場に迎えにいくと意外にニコニコして出てくるではないか。実は咋朝、目覚める前に夢を見ていた。親バカ以外の何ものでもないが夢の中で息子は「お父さん、今日の算数は全部解けたで」とうれしそうにしていた。


朝、試験会場に送る道すがらで、よほど夢の話をしようかと思ったが妙なプレッシャーを与えては良くないと思い留まった。もしや正夢かと聞いてみると、さすがに全問正解とはいかないものの、まあまあできたという。では手応えありかとたずねると、やはり理科がダメだったらしく「合格はどうやろ」と頼りない返事。


その足で京都に向かった。


高の原から今出川まで直通の急行に乗る。たまたま同じ塾の友だちと一緒になり、その子のお母さんをあわせて5人である。子ども同士は、何やら楽しそうに話しているが親の会話は弾まない。今出川からぎゅうぎゅう詰めのバスに乗り、北野白梅町に着いたのが発表の2分前だった。


学校に向かって歩いていると、すでに発表を見たらしい親子が戻ってくる。その様子を見れば合格したのか、ダメだったのかが一目でわかる。残酷なものだ。自分の子どものがんばり具合を見てきているだけに、他の子もそうなんだろうなと思い、不合格のきつさが改めて胸に迫ってくる。


ニコニコしながら電話をかけている子もいる。正門が近づいてきてこちらは、不整脈でも起こしてるんじゃないかといぶかしむぐらいに心臓がドキドキしてくる。家人とも友だちのお母さんとも離れて、子ども達を追う。玄関先で靴をスリッパにはきかえ、地下の講堂へ。講堂の壇上にボードが張り出してある。


見えない。ずんずん前へ行く。が、まだ見えない。メガネをずりあげて焦点を合わそうとした時、後ろから家人の声がした。「あったぁ!。あった、あった」。小走りに前へ進んで自分の目でも確かめる。ある。112番は確かにある。力が抜けた。


友だちも受かっていた。息子を抱き寄せ、友だちも一緒に抱き寄せて「よかったなあ。ほんまに、よかった」としか言えなかった。いろいろ言おうと考えていたことなど、ぜんぶ飛んでしまった。


息子を支え、応援してくださったすべての皆さん、ありがとうございました。




昨日のI/O

In:
『ラーメン屋成功論/豆田敏典』
Out:
京都大学法学部・高谷准教授インタビューメモ
京都大学法学部・橋本教授インタビューメモ


昨日の稽古: