トップのひと言の影響力


「日産を変える」


確かカルロス・ゴーン氏は、沈没寸前の日産に乗り込んできたとき、第一声でこう宣言した。その後の日産が、どう復活したかは説明するまでもない。今回の大震災に当たっても、日本の自動車メーカーの中で、最も早く生産正常化を果たしたのがニッサンだ。


トップの言葉は、それほどまでに大きな力を持つ。


逆にいえば、トップの言葉次第で、状況が一転する可能性もある。幸運なのは、自らの言葉に自覚的であり、自らが属する組織の将来のためを思って考え抜いた言葉を発するリーダーをもつ組織である。


不幸なのは、自ら属する組織のためではなく、我が身の保身のために、深慮されていない言葉をまき散らすリーダーを持つ国家である。しかも、まき散らされた言葉とはいえ、それが一国のリーダーの口から出たものであれば、それなりの注目を集めてしまう。影響力を持ってしまう。


2011年5月6日、もし菅直人首相が「浜岡原発を止めろ」と言っていなかったら、その後の世界はどう変わっていただろうか。関西電力が15%の節電要請を出すことになっていたのだろうか。ドイツが脱・原発へと舵を切っていただろうか。イタリアの国民投票の結果が、変わっていた可能性はなかっただろうか。


原発についての賛否を言っているわけではない。


一種の思考実験である。

誠に残念ながら、福島ではこのような事故が起こってしまった。被爆による被害が、今後、どのような広がりを見せるかは、今のところわかりません。しかし、政府としては、可能な限り最善の策を尽くします。冷温安定に向けても、あらゆる努力を惜しみません。
同時に、既存の原発についても徹底した見直しを行います。福島で得た教訓を活かし、少なくとも福島でわかった問題点への対策を徹底します。そして検査の結果、問題がなければ、点検中の原発も順次稼働していきます

と、このように宣言していれば、流れはどうなっていたのだろう。


素人目から見ても、訳のよくわからない理由で、しかもほとんど超法規的措置として、浜岡原発を止めることがなければ、今のような「脱・原発」の流れは起こっていたのだろうか。


もとより脱・原発原発維持についての話をしているわけではない。菅直人首相というリーダーを、この時期に仰がざるを得ない、我々の今の環境をどう考えるべきなのか。国のリーダーとは、それだけの重みのあるポジションである。


オバマ氏、胡錦濤氏、プーチン氏、サルコジ氏、メルケル氏、メドベージェフ氏、キャメロン氏。そして菅直人氏。彼我の違いはどこにあるのか。その違いは何によるものなのか。次の選挙の時には、しっかりと自分の頭で考え抜いた末に投票したい。


自分たちのリーダーを選ぶための選挙なのだから。2年前の失敗を、二度と繰り返さないために。



昨日のI/O

In:
樋渡・武雄市長講演会
Out:
岡山大学取材原稿


昨日の稽古:

身体ほぐし、基本稽古、ミット稽古、組み手稽古