違って見えた風景


95.8%


なんと100人中、96人の方が完走された。ほんまか?と言いたくなるが、まさか嘘の公式発表をするはずもないので、事実なのだろう。日曜日3月11日の京都マラソンである。市民マラソンとしては日本でもいちばん厳しいコースらしい。何しろ高低差が半端ないのだ。


事前にクルマで下見をした時点で、これはやばいと思いましたね。上りがめちゃきついにもかかわらず、制限時間が短い。スタート後6時間で打ち切りとなる。そして参加者が1万5千人。後方から(申告タイムが遅い人は後ろの方になるわけです)スタートするだけで10分から15分ぐらいは損をしそうだ。下手をすると第一関門で、チェックメイトになったりはしないか。


さらに、続く第二関門までは5キロぐらいのだらだら坂が続く。広沢の池から福王寺を越えて立命館大学の横まで、ずっと上りである。ここに第二関門がある。このへんでいっぱい落伍するんだろうな、と思ったり。とはいえ自分としては、完走のための戦略をばっちり立てていた。まず最初の上りでは、絶対に「足を使わない」ことだ。といっても、そもそも使えるほどの足がなかったことが、後に判明するのだが、計画段階ではそんなことわかるはずもない。


練習段階ではハーフを普通に「走る」ことができたのだ。ハーフを走った後、めちゃくちゃダメージがあったかといえば、そんなこともない。いささか疲れはしたけれど、気分的には「まだまだ走れるぜ」である。だから中間地点まではじっくり構えていく。自分にとっての勝負は最大の難所といわれる狐坂ではない。頑張りどころは40キロ手前あたりになる銀閣寺道への最後の上り、などと偉そうに考えていたわけです。


最初は本当に順調だった。Hグループ(後ろにはJグループとKグループしかいない)からの出発ながら、スタート地点でのハンディは5分に収まっていた。後ろから抜いていく人が結構いるけれど、そんなのは気にしない。スタートで5分の遅れなら、少なくとも第二関門ぐらいで引っかかることは、まず考えられない。こっちは後半勝負と決めているのだ。


広沢の池の手前で、なぜかストップしてしまった時も「まあ、しゃあないやんな。これぐらい遅れたかて、全然平気やで」モード、のんびりしたものである。そこからのだらだら坂は、ほぼ予想通りでぺたぺた足、手も極力振らないナンバ的に走ろうスタイルであっさりクリアした。


その後も、まあ順調である。西大路を北大路へ向かってやや上り(またかいな)、北大路を東へと転じてからは千本に向かって登る(坂ばっか)。が、そこからは今宮戎に向かって下っていく。下りは早い。そこからは、おそらくまた少しずつ、北に向かって緩やかな坂道だったのだろう。けれども御薗橋で鴨川沿いの道に出たときには、視界が開けて気分も変わる。対岸を先行するランナーが、めっちゃたくさん走っている。壮観である。そのうち、まとめて抜いたるから、なんてバカなことを妄想したりもした。


西加茂橋を渡り鴨川沿いの道を南へ、北山通りに入るがまだまだである。次の難所・狐坂を上りきれば、後はしばらく楽勝コースが続く。このあたりは何回も走った道なのだ。まだ先は長いけれど、もうゴールは見えたも同然よと思ったのが甘かった。


狐坂を決して歩くことなく(自分の意識としては)駆け上がった。ここは結構歩いている人が多くて、その人たちをごぼう抜きである。「そうそう、たしか村上春樹も上り坂で抜いていくのが快感だって言ってたよな」とか思ってみたりもする。あほですねえ。で、調子よく狐坂を上り切ったのは良いのだが、そこで異変が起こった。宝ヶ池のトンネルの中で足が前に出なくなった。ほんの少しではあるけれど、間違いなく下り道なのに、止まってしまった。


異変は国際会議場の折り返しを過ぎて、大変なことになった。足が出ない。もはや走っているとは言えない状態である。しかし狐坂を今度は下るのだ。下りは放っていおいても前に進む。ここで挽回だなと思ったのだが、それはとんでもなく甘かった。下りのほうがきつい、というか脚が痛い、というか足にひどくダメージを感じる。


それでも何とか坂を下りきると、歩幅が半分ほどに縮んていた。マラソンはな、骨盤を前掲に保って股関節を動かして走るんやで。と頭は命ずるものの、足が脳の命令を拒否する。そこから先、我が足は我が脳の支配下に入ることを拒否した。止まっちゃいかん、歩いてはいけん。そう言い聞かせながらよろよろ、ぺたぺた足を動かす。が、下鴨中通の給水所でとうとう止まってしまった。それまでは給水も一応動きながらしていたのだ(決して走りながらとはいわない)。一度、止まるとダメである。止まりグセがついてしまう。


何とか北山通りを抜け、今度は鴨川の河川敷に入って驚いた。普段、ジョギングをしているときは、絶対に土道のほうが走りやすいし、足にもいいよなあと思っていたのに、疲れきった足には、地道のでこぼこがきつい。ほんのわずかな段差が足をもつれさせる。もうあかんけん、だめじゃわと思ったときに、沿道で応援する少年サッカーチームがハイタッチを求めてくれた。これが元気をくれた。


河川敷を何とかクリアし、丸太町橋を渡ったところで、もう走れんと思いましたね、正直なところ。ここからゴールまでの道のりは、ものすごくよく知っている道である。夢の4時間台ゴール作戦では、銀閣寺道からゴールに向かって、最後の、それでもまだ余裕が残っているはずの力を使い、緩やかな坂を駆け下りる展開になるはずだったのだ。


ということは、今はこのボロボロの姿で、その前の上りを乗り切らなあかんいうことで、それは無理でしょう。もうやめようか、と思ったのが、自分だけだったのかどうか。川端通りを走っているとき、なんか自分だけがエアポケットに落ち込んだような気がした。風景が歪んで見えるというか、目に入らないというか。景色が変わりました。


ふと周りにいる人を見ると、みんな結構涼しい顔をして、ゆっくりではあるけれど、ゆったりと走っているように映る。東一条で川端通りを東へ曲がり、東大路へ向かうあたりがもっともきつかった。周りがまったく見えなくなった。倒れるかもしれんなあ、と思いました。


ところが不思議なものだ。東大路まで出てしまうと、もう後は4キロぐらいである。ここまで来てリタイヤしちゃ悔しすぎるではありませんか。関門に引っ掛かりでもしたら、泣くに泣けないじゃないか。と思うと、体のどこかに残っていた最後の力が出てきた。たぶん早歩きよりずっと遅いぐらいの遅さで、でも意識としては「走っている」つもりで足を動かし続ける。あと3キロ、あと2キロ、でも41キロのところで、また切れてしまった。


そこから195メートルだけ歩こうと決めた。そして最後の1キロだけは、人にどう見えようが、自分としては走ろうと再び決意したのだ。不思議なもので、もうゴールがすぐそばだと思うと、足が少しだけ頭の言うことを聞く。つまり、走ろうとする。そして平安神宮の鳥居が見えたら、ゴールである。


公式記録タイム:5:32:49
総合順位:9840
12年前に走ったホノルルより1時間20分、タイムを縮めてやったぜ。


昨日のI/O

In:
広島修道大学取材
Out:
某原稿

昨日の稽古: