あの人、今どこで何してるの?
幼いころ、不思議でならないことがあった
大好きなおじさんがいた。父の弟で、私の二回り歳上、同じねずみ年である。クルマが好きで、それもマツダ車がお気に入りで、ファミリアロータリーに乗っていた。
小学生の頃、京都の伏見桃山に住んでいた。おじさんは、滋賀県の石山にいた。月に一度、土曜日の昼過ぎに伏見まで来てくれる。土曜、日曜とキャッチボールをしたり、サッカーゲームをして遊んでもらった。時にはドライブに連れて行ってもらうこともあった。家にはまだクルマがなかったのだ。
その大好きなおじさんが、日曜の夜に帰っていく。ファミリアが道の角を曲がるまで手を振っていた。クルマが見えなくなると、おじさんがいなくなる。そんな妙な感覚に、いつも捉われていた。
さっきまで一緒に遊んでくれていたおじさんは、どこに行ったのだろう。おじさんが消えてなくなったわけではないのだけれど、自分の目の前にはいない。その喪失感みたいなものが不思議だった。
月曜日になると、奇妙な感覚はより強まった。自分は小学校にいる。でも、おじさんは、もちろん小学校にはいない。おじさんは、どこで何をしているのか。おじさんのリアリティがどんどん薄らいでいき、それと反比例するように妙な寂しが募った。
おじさんはここにいないけれど、どこかで仕事をして、ご飯を食べて、お風呂に入ったり寝たりしている。それはわかっているのだけれど、自分の目に見えないおじさんは、とても遠い存在のように思えて仕方がなかった。早く、次におじさんが、現れてくれるのが待ち遠しかった。
大好きな人が目の前にいなくても、どこで、何をしているのかがわかれば、どんなにいいだろう。小学生の頃、ざっと半世紀ほど前に抱えていた思いを叶えてくれたのがFacebookじゃないだろうか。
Facebookを見れば、自分の知り合い、つまり好きな人たちが、今、どこで、何をしていて、どんな気分なのかを知ることができる。写真や動画も付いているから、よりリアルにわかる。設定しておけば、好きな人が投稿するたびに、お知らせをしてくれる。
だから、投稿をみて、すぐに反応することもできる。そこからメッセージのやりとりを始めることもできる。
人は基本的に寂しがりな生き物なんじゃないだろうか。だから、誰かとつながっていたい。大好きな人が、どこで何をしているのか知りたい。自分は今こんなことしているよ、こんな気分だよと伝えたい。伝わった証に、何かレスポンスを返してほしい。
だから、全世界で10億人を超える人が、Facebookを使うようになった。なんてことを思いました。
昨日のI/O
In:
某・元政治家取材
Out:
昨日の稽古:
ジョギング、筋トレ