余白が人を伸ばす



偏差値50前後


決して高いわけではない。けれど、4年(あるいは修士まで入れて6年)を、この大学で過ごすと企業から高い評価を得られるようになる。その結果が、常に95%近くの就職率となる。しかも就職先は大手企業が多い。


学生の力を伸ばすために、さまざまな取り組みを行う。まずは数学。理系の基礎、というよりもおそらくは、ものごとをきちんと考える力を養うための数学だ。それは決して難解な数学でなくていい。高校数学を一からきちんとやり直せば、その後の社会で必要とされる「筋道立てて考える力」は、十分に養える。


その上で、研究と課外活動の二本立てで、学生の力を伸ばす。課外活動とは、例えばエコカーであり、人力飛行機であり、ロボコンである。あるいは地域活性化のためのプロジェクションマッピングであり、街の夜を彩るイベントである。


エコカーも、ロボットも学生たちが自ら、工具を使って創りだす。そのための工房が用意されている。旋盤をはじめとする本格的な工具を扱う際には、プロが学生をサポートする。駅でのプロジェクションマッピングなどでは、関係諸機関との折衝も行う。


もちろん、すべてチームを組んで取り組む。だから、チームとして活動する際に必要な「心構え」が自然に身につく。こうした活動と研究が結びつく。


例えば人力飛行機の翼を自分の手で作る。翼の表面の仕上げは、どのようにあるべきかを自らの指先の感覚で悟る。その感覚が、翼を設計する理論の学びを深める。ただ、コンピュータ上だけで解析するのではなく、頭のどこかに残っている手触りと共に理解する。


ロボット然り、自動車もまた同様。ほかのあらゆるプロジェクトと研究がつながっている。純粋な研究ではないのかもしれない。けれども、企業が求める、社会で即戦力となる力が、きっちりと養われることになる。


そして、学生の力を伸ばす。というか、学生の力が、自然に伸びていくのを後押しする空間。全体構想をひとりの建築家がデザインしたキャンパスには、開放感がある。




その象徴が学生食堂だ。効率だけを考えるなら、高い天井は無駄である。ここに2階フロアを作っておけば、昼時の混雑状況は緩和されるだろう。けれども、ここは単なる食堂ではない。夜10時まで開放される自習スペースでもある。


学びの空間、であるならば、高い天井による開放感、天窓から射しこむ陽の光、2階までの高さで全面に開いた窓が望ましい。その余白が学生の力を育む。


学生を伸ばすこと。これを建築デザインのコンセプトとした学び舎は、たぶん、他にはほとんどないのではないか。流行りのラーニングコモンズなどもいくつか見せてもらったことがあるが、そこで考えられているのは、あくまでも機能性である。



学生が伸びていくのは、どのような空間なのか。なぜ、この大学では一年中、多くの学生がいつもキャンパスにいるのか。体感的に理解できる気がした。


実は理系で、偏差値50程度の学生が、きちんと教育すれば、もっとも伸び代があるのです。そのとおりだと思う。


昨日のI/O

In:
『ジョナサン・アイブ』
Out:
某原稿プロット5枚

昨日の稽古:

ジョギング

命の重さの報道について


死者数、年間4,373人(平成25年度・全日本交通安全協会調べ)


昨日の夕方、ニュース番組を見ていて、何かが引っかかった。そのコーナーのテーマは、イスラム国の人質問題。コーナーを締めくくる語りでキャスターは、まず外務省の業務について触れた。


海外大使館などの邦人援護活動業務について、外務省には「そして,万が一,緊急事態が起きた場合は,日本人の安否を確認し,被害にあった人を助けるため全力を尽くす」義務がある、と述べた。


続いて、今回の2人が行方不明もしくはイスラム国に拘束されていることは、遅くとも昨年末までに掴んでいたはず。知っていながら、一体何をしていたのか。人の命の重さを、どう考えているのか。となじるような口調で非難していた。


申し訳ないが、ここで話は飛ぶ。


昨年末、阪神・淡路大震災被災者が語る「震災を振り返る」講演を聞いた。語ったのは、自ら被災者したテレビ業界の関係者である。彼が強調していたのは、現実はテレビ画面の外にあるということ。逆にいえば、テレビ画面は「何らかの意図を持って」切り取られた現実の一部でしかない。


例えば、東日本大震災が起こった時、テレビで流された映像のことを思い出してほしいと。放映されたのは、同じ映像の繰り返しではなかったか。何度も同じ映像しか流されないのにはわけがある。テレビ局の自主規制だ。万が一、画面の一部にでも、遺体が紛れ込んでいる映像を放映してはならない。これがテレビ局の自主規制の一つの例である。


であるなら、テレビ局も営利企業であるのだから、他にも自主規制が働くはず。つまりスポンサー筋に対して、不利益をもたらす報道に対しては少なくとも遠慮が働くだろう。


そこで、冒頭に戻る。


人の命の重さは同じ。命は何ものにも代え難い。これは抗いようのない主張だ。だから、たとえわずか2人とはいえ、その救出に日本政府は全力を尽くすべきだ。しかも、外務省は事態を早くから掴んでいたにもかかわらず、一体何をしていたのか。


このコメントに、瑕疵はない。コメンテーターの真剣な表情からは、正義の味方として政府を批判する真摯さが伝わってきた。なにげなく見ていて、「そうやなあ、あかんなあ。日本は何しとんねん」と何となく思った。


でも、他の国は人質問題にどう対処したのかな、と少し疑問に思った。するとアメリカやイギリスなどは、日本とはかなり異なる考え方で対処していることがわかった。人質問題に対しても、あるいは人の命の捉え方についても、世界には多様な考え方があるのだ。


そこで、冒頭に戻る。


じゃ、交通事故はどうなの、と疑問に思った。減ってきているとはいえ、それでも毎年4000名以上もの人が、事故で命を失っている。人質の2000倍である。これを政府は放っておいて良いのか。人の命が何ものにも代え難い、というのであれば、ここにも件のコメンテーター氏は着目すべきなのではないか。


それとも、現代社会とそこでの生活を営む上で、年間4000人程度の不慮の死者がでることは、やむを得ない条件と割り切って切り捨てているのだろうか。


そんなことをぼんやり考えながら、テレビが報道することよりも「報道しないこと」、画面に映ることよりも「画面に映らないこと」を意識することも大切だと思いました。


だって映像のインパクトは強烈だから。それを見せつけられたら、そこに描かれていること「だけ」が、現実だと思ってしまう。でも、きっと現実は、そんなに単純なものじゃない。


昨日のI/O

In:
希望の国エクソダス』取材ノート
Out:
勉強会テキスト原稿30枚・本の原稿10枚・テープ起こ40枚

昨日の稽古:

今に集中する



昨年は200回走った


なぜ、そんなに走るのかと考えた末に、たどり着いた答えが脳内麻薬物質だった。β-エンドルフィンとドーパミンセロトニンの仕業である。これらはいずれも、体を動かすことで、脳内に自然に分泌されるホルモンだ。もちろん違法ではなく、極めて合法である。


合法とはいえ「麻薬」カテゴリーに分類されるだけあって、多幸感をもたらしてくれるのだろう。走っていると自然に気持ちよくなる。だから走る。つまり「健康のため」に走るのではなく、「やせるため」でもない。一応、京都マラソンに出ることになっているけれど、「マラソンを完走するため」ということもない。


ただただ単純に走っているだけで、その時間が気持ち良いから走るのだ。そんなことを考えているうちに、「◯◯のため」に何かをすることに対して疑問を持つようになった。


問:仕事をするのは何のため?
✕:お金を稼ぐため
◯:仕事をするのが楽しいから


問:取材をするのは何のため?
✕:原稿を書くため
◯:人の話を聞くのが楽しいから


問:誰かと食事を共にするのは何のため?
✕:接待などで関係性を良くするため
◯:その人と過ごす時間が楽しいから


「お金を稼ぐために」仕事をするのではなく、「原稿を書くために」取材をするのでもない。「クライアントを接待するために」食事するのでもない。と考えれば、これは一期一会の考え方に通じるのではないか。


つまり、いま行っている活動をできるのは、一生に一度きりである。だから、そのことに集中して、それだけを楽しむ。「きちんと、その場にいる」。そんな心構えで日々を過ごすことができれば、毎日を楽しく生きることができる。


そんなことを思うようになったのは、無駄にできる時間の残り少なくなってきていることを意識するようになったからかもしれない。


昨日のI/O

In:
希望の国エクソダス』取材ノート
Out:
対談原稿6枚・講演まとめ原稿6枚・本の原稿6枚

昨日の稽古:

商いとしての「きもの」の可能性



最盛期2兆円から3000億円へ


きもの市場は、高度成長期に最盛期を迎えた。京友禅の生産量でみれば、ピークは1971年の約1650万反である。これが2010年には約51万反まで落ち込んでいる。ピーク時を100%とすれば、40年後の生産量は、わずか3%に過ぎない。


市場ライフサイクルで考えるなら、どん詰まりの衰退期である。きもの・呉服の本場といえば京都、中でも室町通りにはかつて、呉服問屋が軒を並べていた。界隈にある散髪屋の大将から伺った話では、呉服屋さんの営業マンたちは、二日に一回は整髪や髭剃りに店に来たという。


何のためか。祇園で一杯やりに行く前に、身繕いを整えるためである。景気の良い頃には、年に6回ぐらいボーナスが出たともおっしゃっていた。それほどまでに、きものは高付加価値商品だったのだ。


30年ほど前に、印刷屋さんに新卒入社し、室町の問屋さんを何軒か営業マンとして担当したことがある。発注いただく方々は、皆さん、結構太っ腹というか、鷹揚というか。値引きを言われた記憶があまりない。カタログやパンフレットの見栄えには、かなりこだわっておられた。けれども、見積りはほとんどスルーだったのではないか。


従って、呉服部隊の営業マンには粗利を33%確保するようにとの指示が下されていた。印刷物にそれぐらいのコストを掛けても、きものの商いには利益がまだ出ていたのだろう。


ところがきものマーケットは、右肩下がりで縮小していく。室町通の呉服問屋さんもどんどん潰れていった。ダントツのトップだった会社が潰れ、ビルを2軒持っていた企業も1軒に縮小となり、呉服屋さんの後にはマンションが建った。室町通の様変わりぶりは、昔を知る人には信じられないほどのものだ。


市場が衰退期に入った時には、撤退するのが原則である。もちろん、必ず撤退すべきというわけでもない。衰退する市場とはいえ、ニーズがゼロになるわけではない。だから、そこに踏みとどまって、他社が放置したニーズを取りに行く戦略はありだ。


こうした残存者利益を獲得することで、成功している代表的な企業が京都にある。ロームである。同社は半導体メーカーでありながら、最先端デバイスではなく3世代ぐらい遅れた製品を主力としている。生産設備も世代遅れでいいから、イニシャルコストを4分の1ぐらいに抑えることができる。成熟製品をローコスト生産することで、高い参入障壁を作ることができる。


衰退市場に、まったく新たな考え方と方法論で参入することは、優れた戦略となりうる。これがロームの事例からの学びだ。


この学びを、きもの市場に持ち込むとどうなるか。


きものを着る人がなくなることは、ない。少なくとも、この先50年ぐらいは、まだ確実にニーズは存在する。衰退市場とはいえ、マーケットはあるのだ。では、そこにどうやって参入するのか。


徹底的にコストを削減すればどうなるか。きものが高くなる理由の一つは、在庫を抱える商いをするからだ。では、在庫など一切持たなければ良い。しかし、きものは極めて嗜好性の強い商品である。お客さんとなる女性は、色柄豊富な在庫の中から、自分に合うきものを選びたいのが心理である。


どうしても在庫が必要となる。というのが従来の発想である。アパレルの世界では、すでにバーチャルイメージで、自分に合う装いを選べるようになっている。きものでも同じことができるはずだ。在庫はネット上のデータでいい。3Dソフトを使えば、実際に自分が着ている姿を見ることができる。3Dプリンターを使って、擬似的に作ることも可能だろう。


必要なのは、きものに対する関心を引き起こすことだ。きものを着てみたいなと思ってもらうことだ。つまり、きものに関する知識を提供することである。しかも、可能な限りコストをかけずに。


だから株式会社二十八(ふたや)の原社長は、shareKARASUMAで会社登記をした。シェアオフィスだから、事務所経費はミニマムに抑えることができる。でありながら、お客様に来ていただいてきものの魅力を説明するスペースは十分にある。


原社長は、きものに関するセミナーに力を入れるという。そんな中でお客様との信頼関係を作り、あとはOne to Oneでていねいに接客・提案をしていく。在庫品の中からお勧めするのではなく、一人ひとりにカスタムオーダーできものを仕上げていく。それでも決してバカ高くはならない。


慧眼だと思う。銀座の一流呉服屋で5年間も修行を積み、満を持して京都に引っ越してきて始めた呉服屋さん。ぜひとも、成功してほしい。


昨日のI/O

In:
某通信系企業様取材テープメモ

Out:
某大学産学連携本部パンフレット・コピー原稿

昨日の稽古:

人生の折り返し点について



54年と8ヶ月ほど


生まれてから時間が経った。35歳を人生の折り返し地点とするなら、もう折り返しの半分を越したことになる。仮に、最近の男性平均寿命をベースに考えたとしても、人生の半分はとっくに過ぎて、残りの3分の1以上が終わってることになる。


夏休みなので(ということに表向きなってるので)本でも読もうと思って、引っ張りだしたのが『回転木馬のデッド・ヒート』。確か「トレーニングをして、20代の頃の体型を取り戻す」みたいな話があったはずと思ったら『プールサイド』という短編だった。


冒頭に次のように記されている。
「35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえりし点を曲ってしまったことを確認した」


そして彼は、鏡の前に立って、自分の体を点検する。
「全体として見れば身長173センチ、体重64キロの彼の体はまわりにいる同年代の男たちの体と比べてみれば比較にならないほど若く保たれていた(中略)しかし彼の注意深い目は自らの体を覆っていく宿命的な老いの影を見逃しはしなかった(中略)どれだけ他人の目をごまかせても、自分自身をごまかしてい生きていくわけにはいかない。

 俺は老いているのだ。

 これは動かしがたい事実だった。どれだけ努力したところで、人は老いを避けることはできない」


ふむ。この人は35歳で既に、こう達観したわけだ。翻って自分はどうか。身長、体重はこの人と同じ。でも、この人よりほぼ20年も歳を取っている。自分は、自分がどれだけ老いているのかを、自覚できているのだろうか。


仕事をしていると、なんとなく感じることはあった。取材仕事で話を聞く相手が、自分より年下の方というケースが増えている。打合せに行っても、そこに揃っているメンバーの中で、自分が一番歳を食ってることがほとんどだ。


それどころか、今いるシェアオフィスでも「はい、お年寄りの方から順番に並んでください」と言われたら、前から5番目ぐらいに行かなきゃならないだろう。確か、このシェアオフィスには会員さんがざっと百数十人いらっしゃるはずだから、これはもはやなんともである。


だからって、どうなんだという話ではある。でも、残された時間の重みをもう少し意識すべきなのかもしれない。それは、年長者としての自覚を持つ、などという偉そうな話ではない。そもそも、そんなものはまったく持ち合わせていない。ずっと一人で仕事をしてきたから、そんな意識を持てるはずもない。


仮に会社員をやっていたとすれば、55歳ともなれば、それなりに何人かの部下がいて、◯長(◯に入る文字は運と才能に左右されるのだろう)に就いているのではないか。そこに至る過程では、常に何くれとなく目をかけてくれる上司がいて、自分が責任をもって面倒を見てやる部下もいるはずだ。


そうした人間関係が人を成長させる。


ところが、いわゆる会社勤めをしたのが24歳からの5年弱だけで、その後はデザイン事務所(スタッフ6名)、広告代理店(スタッフ7名)ときて、32歳で同い年のデザイナーと独立、というキャリアでは、上司や部下と何らかの関係をもつ機会などない。


仕事で関わるのは、クライアントであり、取材相手である。いずれもお客様であり、相手の年令には関係なく、常に丁重な対応を求められる。そんな状況の中で20年以上やってきているので、誰と会っても「自分が歳上なんだから」と意識することがない。


良い悪いは別として、そういうふうにしか人と接することができない。だから、自分の年齢に対する自覚がないまま歳をとってしまったのかもしれない。


けれども
「どれだけ進行を遅らせたところで、老いは必ずその取りぶんを取っていく。人の生命というものはそういう具合にプログラムされているのだ」
だとしたら、もう少し意識を変えるべきなのだ。


変えるべき意識は対人的なものではなく、自分自身に対する、あるいは自分に残された時間に対する意識だ。などということを考える夏休みの一日なのでした。


回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)


昨日のI/O

In:

Out:
某氏自伝本原稿

昨日の稽古:

ジョギング、筋トレ

500年先を見つめるビジョナリー



shareKARASUMA偉人伝、第7回目はプロデューサーの星野辰馬(ほしの・たつま)さんをご紹介します。


50代になった時、この仕事をやっていけるのか


20代前半で、そんなことを考えた。いつも先を見通す人である。10代後半の頃、雑誌『アントレプレナー』が創刊された。アントレプレナー、すなわち起業家。漠然とした思いではあるけれど、自分も将来は独立して何かしたい、事業を起こしたいと考えるようになった。


起業家をめざす人は、起業に向けて動く。意識せずとも、起業に関する問題意識が養われていく。知らぬ間に、起業に必要な知識をインプットするようになるものだ。


やがて大学を卒業し、広告代理店でディレクター職に就く。京都府のIT関係や稲盛財団京都賞関連などを手がける、ちょっとユニークな企業である。仕事はおもしろく、毎日が刺激的だった。


けれどもIT関連の仕事の動きの速さにも気づいていた。技術の進化は凄まじく、当初は特殊技術だったウェブサイト制作など誰でもできるようになるだろう。20代前半にして、自分が50代になった時、どんな仕事をしているべきか、と考えた。


あれこれ考えるうちに、自分が住んでいる町の特殊性に気づいた。京都である。この町には、伝統工芸が息づいている。新しい暮らしと、昔から続く営みが自然に同居する不思議な町。その町の魅力に引きこまれた。


天職と出会った時、人は「天啓に打たれる」という。


自分がやるべき仕事が見えた。いま仮に、ソニーのウェブサイトを受注できたとしても、そのサイトは5年後にはなくなっているだろう。けれども、伝統工芸に関わるなら、100年先、500年後の世界に、自分の思いを伝えることができるではないか。


若い自分たちが今、工芸の世界に関わらなければ、優れた技術が途切れてしまうおそれも感じた。やりがいと使命感の一致、ビジョナリーである。だからといって、具体的に何をどうすればよいのかがわからない。


普通なら、そこで動きが一旦止まる。改めて考えて、資金繰りもめどを付けて、仲間も集って、と動き出さないための言い訳ならいくらでも思いつく。けれども星野氏は違った。まず、最初の一歩を踏み出さない限り、どこへも行けないことを知っていたのだ。


だから彼は一人、伝統産品の催事販売を始めた。まさに徒手空拳、アルバイトで日々の糧を稼ぎながら、土日祝日はどこでもいい、出展させてくれる場所で、イベント、実演、ワークショップなどを手がけた。一人でも多くの人に、伝統工芸の良さを知ってもらうために。


そんな中で、ある日出会った組みひも屋さんが、次の一歩を導いた。最初の一歩を思いきって踏み出した人だけに訪れる出会いである。組みひも屋さんの営業を手がけるようになり、営業先のネットワークが広がった。


百貨店の催事に呼ばれるようになり、和雑貨セレクトショップからも出品依頼が舞い込むようになった。一方では、面白いことをやっている若者がいる、と評判を聞きつけた伝統工芸の作り手たちから、声がかかるようになった。


屋号の「connect」が示す通り、創り手と売り手をつなぐことが仕事になってきた。動いているうちに、新しい道がまた見えてきた。例えば、組みひもを素材として使えばどうなるのか。


工事用マスキングテープをヒット雑貨「mt」に変えたカモ井加工紙の成功事例がある。マスキングテープの簡単に貼ってはがせる機能を活かしながら、デザイン性を加えることで新たなマーケットを同社は開拓した。同じことが、組みひもでもできるはずだ。


そう考えた星野氏は、組みひもを新たな商品として組み立て直すことを考えた。素材として組みひもを捉え直すなら、新たな用途を開拓できる。その先は日本にとどまらない。


多様な展開を企画する時に、伝統工芸品の特長が活かされることになる。小ロット対応である。オリジナリティを求める相手には、少量限定の稀少性が価値になる。既にオランダのセレクトショップでは扱いが始まっているという。


そして、次のステップも決まっている。


自分でショールーム兼シェアオフィスを立ち上げるのだ。星野氏の考え方に、感性に、未来を見据える志向性に共感したクリエイターが集まるオフィスである。


500年先の世界に、伝統工芸品を残す。星野氏の動きは止まらない。
Rolling stone gathers no moss. 彼が漂わせている爽やかさは、いつも動き続けている人だからこそ醸し出せる空気感なのだ。


昨日のI/O

In:
京都大学農学部取材
Out:
九州大学カーボン・ニュートラル・エネルギー国際研究所原稿

昨日の稽古:

ジョギング

走る合法ドラッグ



今月は今朝で20回、122キロ


ほとんど毎朝走ってる。なぜか、朝起きて、一仕事終わると、うずうずしてくる。


まるで脳の中に執事みたいなのがいて「旦那、今朝は走らなくていいんですかい」と囁かれているかのようだ。そう言われると、走りたくなる。能書きをたれるなら、朝一番はたいてい、きつめの仕事をしているので、それを終えて、次の仕事に向かうための気分転換、と理解している。


でも、どうやら、そうではなさそうだ。


特にきつい仕事をしなくとも、起きて1時間半ぐらい経つと走りたくなる。前夜いささか飲酒量が規定より多かったとしても、走ればなんとかなると前向きに考えてしまう。実際、走りだすと(正確にはよたよた動き出すと)徐々に体がほぐれてくるのがわかる。


中学校で卓球部に入り、ひたすら走ることを強いられた。おかげで高校1年の校内マラソン大会では、全校で10番ぐらいになった。それからずっと、走ることは嫌いではない。ただ、住む場所によって走れたり走れなかったりという日々を送ってきた。


40歳から空手を始めて、がんばって走るようになった。最低限の基礎体力をつけておかないと、若い人たちにボコにされる。幸い、自営業ゆえに、走る時間はなんとでも都合をつけることができる。がんばって走った。


そして5年半ほど前に京都に引っ越してきて思った。走るところないやん。京都のど真ん中に住んでいるために、どっちを向いてもアスファルトの道しかない。こんなところで走れますかいな、である。


けれども、なぜか京都マラソンに応募したら当選してしまい、走らなければならなくなった。走ってみれば、実はこの町には走るコースがいくらでもあることがわかった。まず鴨川沿いである。御所の中もいい。東山に上がればトレイルコースもある。町中にしても、意外と走るのがおもしろい変化に飛んだところなのだ、京都は。


去年、とりあえず毎月100キロ走ろうと決めた。距離に特に意味は無い、ただ、キリの良い数字だと思ったのだ。が、月100キロはなかなかきつい。だいたい70キロとか80キロで終わってしまう。と、ある人が「自分で決めた目標だからこそ、守らなきゃダメでしょ」と諭してくれた。


そこで秋ぐらいから、意識して走るようになった。続けて走ると、走ることがおもしろくなった。気持ち良いといった方が正確な表現だろう。おそらくはβ-エンドルフィンとドーパミンセロトニンの仕業である。


脳内麻薬である。最近、話題の脱法ドラッグなどではない。体を動かすことで、脳内に自然に分泌されるホルモンである。もちろん違法ではなく、極めて合法である。合法とはいえ「麻薬」カテゴリーに分類されるだけあって、中毒性があるのだろう。はまるのだ。


だから、こいつを脳内に満たすために走っている。というのが真相じゃないのか。その結果、思わぬ副産物があった。体型が明らかに変わったのだ。以前履いていたパンツを履けなくなったため、もったいないことになったともいえるが、息子のおフルをもらえるので収支トントンかもしれない。むしろ、息子の着ているもののほうが明らかに高価であるため、効率化を図ったと言ってもいいぐらいなのかもしれない。


とはいえ、歳が年である。膝のクッションなどが弱っていることを鑑みて、腸腰筋などの体幹筋肉を鍛えて、かつ走り方も可能な限り足裏を地面から話さないヘタレ走法に徹している。おかげで若い頃よく痛めた膝蓋腱のトラブルもない。


β-エンドルフィンは多幸感をもたらすらしい。そういえば、いろいろつらいこともあるけれど、とりあえず不幸は感じない。ドーパミンはワクワク感、高揚感、達成感を与えてくれるという。こいつは今のところあまり実感がないな。セロトニンは心を安定させてくれるという。確かに、かなりキツイことがあっても、走っている間はたいてい忘れている。


脱法ドラッグやってる人、そんなのやめて、走りませんか。そうすれば極めて合法的に、かつお金もかけずに、もっと気持ちよくなりますよ。ましてや、人に迷惑かけることなど、まずありませんから。と思いました。




昨日のI/O

In:
京都大学農学部取材
Out:
九州大学I2CNER情報誌原稿

昨日の稽古:

ジョギング、筋トレ