商いとしての「きもの」の可能性



最盛期2兆円から3000億円へ


きもの市場は、高度成長期に最盛期を迎えた。京友禅の生産量でみれば、ピークは1971年の約1650万反である。これが2010年には約51万反まで落ち込んでいる。ピーク時を100%とすれば、40年後の生産量は、わずか3%に過ぎない。


市場ライフサイクルで考えるなら、どん詰まりの衰退期である。きもの・呉服の本場といえば京都、中でも室町通りにはかつて、呉服問屋が軒を並べていた。界隈にある散髪屋の大将から伺った話では、呉服屋さんの営業マンたちは、二日に一回は整髪や髭剃りに店に来たという。


何のためか。祇園で一杯やりに行く前に、身繕いを整えるためである。景気の良い頃には、年に6回ぐらいボーナスが出たともおっしゃっていた。それほどまでに、きものは高付加価値商品だったのだ。


30年ほど前に、印刷屋さんに新卒入社し、室町の問屋さんを何軒か営業マンとして担当したことがある。発注いただく方々は、皆さん、結構太っ腹というか、鷹揚というか。値引きを言われた記憶があまりない。カタログやパンフレットの見栄えには、かなりこだわっておられた。けれども、見積りはほとんどスルーだったのではないか。


従って、呉服部隊の営業マンには粗利を33%確保するようにとの指示が下されていた。印刷物にそれぐらいのコストを掛けても、きものの商いには利益がまだ出ていたのだろう。


ところがきものマーケットは、右肩下がりで縮小していく。室町通の呉服問屋さんもどんどん潰れていった。ダントツのトップだった会社が潰れ、ビルを2軒持っていた企業も1軒に縮小となり、呉服屋さんの後にはマンションが建った。室町通の様変わりぶりは、昔を知る人には信じられないほどのものだ。


市場が衰退期に入った時には、撤退するのが原則である。もちろん、必ず撤退すべきというわけでもない。衰退する市場とはいえ、ニーズがゼロになるわけではない。だから、そこに踏みとどまって、他社が放置したニーズを取りに行く戦略はありだ。


こうした残存者利益を獲得することで、成功している代表的な企業が京都にある。ロームである。同社は半導体メーカーでありながら、最先端デバイスではなく3世代ぐらい遅れた製品を主力としている。生産設備も世代遅れでいいから、イニシャルコストを4分の1ぐらいに抑えることができる。成熟製品をローコスト生産することで、高い参入障壁を作ることができる。


衰退市場に、まったく新たな考え方と方法論で参入することは、優れた戦略となりうる。これがロームの事例からの学びだ。


この学びを、きもの市場に持ち込むとどうなるか。


きものを着る人がなくなることは、ない。少なくとも、この先50年ぐらいは、まだ確実にニーズは存在する。衰退市場とはいえ、マーケットはあるのだ。では、そこにどうやって参入するのか。


徹底的にコストを削減すればどうなるか。きものが高くなる理由の一つは、在庫を抱える商いをするからだ。では、在庫など一切持たなければ良い。しかし、きものは極めて嗜好性の強い商品である。お客さんとなる女性は、色柄豊富な在庫の中から、自分に合うきものを選びたいのが心理である。


どうしても在庫が必要となる。というのが従来の発想である。アパレルの世界では、すでにバーチャルイメージで、自分に合う装いを選べるようになっている。きものでも同じことができるはずだ。在庫はネット上のデータでいい。3Dソフトを使えば、実際に自分が着ている姿を見ることができる。3Dプリンターを使って、擬似的に作ることも可能だろう。


必要なのは、きものに対する関心を引き起こすことだ。きものを着てみたいなと思ってもらうことだ。つまり、きものに関する知識を提供することである。しかも、可能な限りコストをかけずに。


だから株式会社二十八(ふたや)の原社長は、shareKARASUMAで会社登記をした。シェアオフィスだから、事務所経費はミニマムに抑えることができる。でありながら、お客様に来ていただいてきものの魅力を説明するスペースは十分にある。


原社長は、きものに関するセミナーに力を入れるという。そんな中でお客様との信頼関係を作り、あとはOne to Oneでていねいに接客・提案をしていく。在庫品の中からお勧めするのではなく、一人ひとりにカスタムオーダーできものを仕上げていく。それでも決してバカ高くはならない。


慧眼だと思う。銀座の一流呉服屋で5年間も修行を積み、満を持して京都に引っ越してきて始めた呉服屋さん。ぜひとも、成功してほしい。


昨日のI/O

In:
某通信系企業様取材テープメモ

Out:
某大学産学連携本部パンフレット・コピー原稿

昨日の稽古: