なぜ中田の思いは伝わらなかったのか


中田は、自らのパスで思いを伝えようとした。


中田の引退についていろんなメディアで好き勝手なことがさまざまに言われている。その中で一つ、引っ掛かったのが昨日の日本経済新聞に載っていた武智幸徳氏のコラムだ。

一時期、中田の代名詞となった「強いパス」がそうだった。味方が取れるパススピードに落とすと世界レベルのDFの間は抜けない。しかし、抜けるスピードに上げると今度は味方が取れない。このジレンマ。
日本経済新聞7月4日)


中田のパスについては確かロペス(呂比須、だったか)が昔、同じようなことをいっていたのを覚えている。ロペスといえばベルマーレ湘南時代のチームメイトである。彼がグランパスに移籍したとき、中田とストイコヴィッチの違いを評して「パスのやさしさ」と表現していた。


ストイコヴィッチのパスは、受け手、つまりロペスにとってやさしい蹴りやすいボールとして届けられる。ところがベルマーレ時代に中田から配給されたパスは、強くて受けにくかったと。このコメントを見かけたときは「ふ〜ん、さすがストイコヴィッチはすごいんや」と単純に感じ入ったのだが、今にして思えば実はベルマーレ時代にすでに中田の苦悩は始まっていたのではないか。


今夜のテレビニュースを見ていると引退の理由として中田は「頭の中でどんどん進化するプレー(のイメージ)に、体がついていかなくなったから」とあった。中田が世界の「ナカタ」たり得たのは、まさにこのイメージする力にある。彼が優れていたのは、常に近未来の理想像を考えるプレイヤーだったことにあるのだろう。いつも理想の未来を、真剣に、妥協なく求める。


だから高校を出たばかりの新人時代から頭の中では世界と戦っていたのだ。それがロペスに対する強いパスとなって表われた。もちろんストイコヴィッチだって、たとえばユーゴのナショナルチームの司令塔として強豪国と戦う時には、それなりに「通る・強い」パスを出していたに違いない。パスの受け手がもし、デヤン・サヴィチェヴィッチだったら、きっとそんなパスを出す。そうじゃないと世界のトップクラスでは戦えないのだから。あるいはサヴィチェヴィッチの方が強いパスを要求するはずだから。


ただ中田はまだ若くロペスの能力を見極めるだけの経験がなかった。ストイコヴィッチはロベスが受けられるパスの強さと、Jリーガーディフェンダーの能力を正確に見切る目を持っていた。その違いがパスの強さとなって出たのだろう。若さ故に理想に燃える中田には妥協する心のゆとりがなかったこともあるだろう。


いずれにせよ恐らく中田の不幸は、日本のチームメイトに彼と同じだけの高いビジョンを持つ人間がいなかったことに尽きるのではないか。その意味ではトッティの控えに甘んじてはいたけれども、セリエAでの優勝という最高のビジョンを共有する仲間に恵まれたローマ時代が、彼の最も輝いた時代だったのだと思う。


「このチームのメンバーが見ているゴールは素晴らしい。自分も共感できる」。本心からそう思えたからこそ、たとえ控えに回されていてもモチベーションもコンディションも落とすことはなかった。それが優勝を決めるリーグ戦での決定的な得点につながったのだろう。


ところが、今回の日本チームは、といったコメントをしたいわけじゃない。やはり残念なのは、中田自身が語っているように「自らの思いを共有できる」仲間を持てなかったこと、これに尽きる。彼はあえて語らなかった。まわりの人間も中田に語らせなかった。なぜなのか。


そこには中田なりの美学や、彼独特のシャイさが絡んでいるのだと推測する。いちいち言葉にしなくとも「わかってくれよ」と。あるいは「同じサッカーを大好きな仲間じゃないか、どうしてわかってくれないんだ」と心の中で悲鳴を上げていたのかもしれない。


しかし、現実には、少なくとも今回の日本チームのメンバーにはまったく伝わらなかった。それが残念だ。残念ではあるが、やはり言葉がなかったのだから仕方がないのだとも思う。最初は言葉にして伝えないと、扉は開かないのだ。


内田先生がいみじくも語っておられるが「コミュニケーションの本質はそこでやりとりされる言葉の「コンテンツ」ではなくて、コミュニケーションが成立するという事態そのものである」。(内田樹×甲野善紀『身体を通して時代を読む』バジリコ株式会社、2006年、49ページ)


結局、中田とチームメイトの間にコミュニケーションは成立していなかったのである。もし、中田がもう少しだけおしゃべりだったら、もう少しだけ図々しかったら。あるいはチームメイトの誰か、たとえば大黒あたりが、あと一歩でも二歩でも中田に馴れ馴れしく近づいていたら。あるいは中田と少しだけ同じニオイを感じさせる松井が今回のメンバーに入っていたら。


いろんな「if」が思い浮かぶ。が、そんなことはすでに中田にとっては終わったことなのだろう。彼の視線はすでに、次のチャレンジに向いているはずだから。何をやるにせよ、やはり世界を相手に戦い続けていくのだろう。



昨日のI/O

In:
NTTドコモキッズケータイ関連資料
『身体を通して時代を読む/内田樹×甲野善紀
『食品安全システムの実践理論/新山陽子編』
Out:
ポイントカードシステム企画書

昨日の稽古:

昨日のBGM

The Beginning and the end/Clifford Brown
Art Blakey/The Jazz Messengers
&some nice music from "Last.fm Player"

ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド

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