体の中で何が起こっているか
4時間58分38秒
走り続けると、体内ではいろんなことが起こるようだ。せっかくなので京都マラソンの記録。
午前4時、枕の下のiPhoneが鳴って目が覚める。昨夜は8時にふとんにもぐり込んでいるから、8時間寝たことになる。でも、何だか眠い。少しでも寝ておいたほうが良いと思って、タイマーを1時間にセットする。すぐに寝落ちしたようだ。
1時間後、またiPhoneのアラームで起きる。まだ眠い。あと30分だけとタイマーをかけ直す。瞬殺で眠りに入る。もう一度、タイマーが鳴る。起き上がっておかゆを温める。味噌汁と一緒に取るのがよいらしいが、ないので、塩をたくさんかけて食べる。水分のとり過ぎに注意するようにとも指示されていたので、お茶はカップ半分に抑える。
着替えて、ワンコの散歩。いつもより1時間ぐらい早く外に出られるので、ワンコはうれしそう。どんどん勝手に歩いて行き、リードを引っ張る。ええよ、お前の行きたいとこ、付いていったるからと、彼の好きな公園まで行く。ひとしきり匂いを嗅いで、公園から出て、家に戻る。
マラソンの準備をする。まず、必要なもの(服ばかりだけど)を並べる。今年は防寒用の古着を、出発地点で引き取ってくれるという。だから捨てて良いジャージとカッパを着て行くことにする。足はタイツと短パンに、ふくらはぎを守るサポーターも付ける。上半身は長袖のシャツの上に、半袖を着る。
ゼッケンを付ける。ゼッケン1枚に付き、安全ピンが8個。4隅にピンを刺してつけろということなのだろう。小さなピンは、老眼の敵である。何度か指を刺す。ゼッケンの隅っこをくちゃくちゃにしながらも、何とか背中とお腹の部分に付け終わって、やれやれと思いながら、ゼッケンが入っていた袋をみると、紙が一枚残っていた。
読むと「計測用タグのついている方を表にせよ」と書いてあるではないか。逆につけている。あらあら、そういう大事なことは、もっと目立つようにわかりやすく書いてくれんかな。Tシャツの前後ろを反対に着て走ってやろうかしらんと思ったが、それも大人げない。思い直して、もう一度安全ピンを8個付け直す。やれやれ。
7時過ぎに家を出て、会場に向かう。とりあえず、たくさん人がいる。みんな、そんなにマラソンが好きなんかな、と少し不思議な気持ちになる。しんどいだけやんとか、足痛なるのにとか、途中で歩いてしまうかもしれんのにとかいろいろな思いが湧いてくる。荷物を預けて、スタート地点に向かう。遅い人たちは別会場からのスタートになるのだ。ここで鬼軍曹殿と落ち合う。この方は3時間台で走る力を持ちながら、今日は私のために5時間組でスタートし、ずっと伴走してくれるそうだ。ありがたいことである。
スタートまで、まだ40分ぐらいあるが、幸い古着を着込んでいるので寒くない。話し相手もいるので、去年ほど時間を持て余すこともない。9時過ぎに列が動き始める。スタート台に去年同様おられた女神を拝顔して、走り始める。ほぼ10分遅れである。
今年の目標は5時間を切ること。去年が5時間2分だったから楽勝だと考えていた。しかも、去年タイムロスした教訓を活かして、走りだすまでは水分を取らない&とにかく早めにトイレに行き(まだ並ぶ人がほとんどいないので)タイムロスしないようにする。去年の5時間2分はタイムロスが10分ぐらいあってのこと。あれから1年かけて練習してきたのだから、今年の5時間切りは楽勝と思っていた。
実際、体が動く。これなら、秘かに狙っている4時間半も切れるのではないかと思いながら、序盤のコースを走る。嵯峨でJRを超える橋を、結構軽やかに駆け上がり、その後に続くアップダウンも快走。「いいペースですよ。キロ6分半ぐらい」とか言われて、その気になった。立命館大学までの上り下りをがんばって走った。
わら天神から西大路に出て、そこからの緩やかな上りも「走る」。千本北大路に知人の建築士さんが応援に来てくれているというから、ちょっと速く走っていき、息子さん(以前、私が上げたMacのマウスを持ってきてくれていた)とハイタッチ。快調である。
次は、大宮の交通公園の近くで、また知り合いの女性が応援してくれているという。これも見つけて手を振る。結構、余裕やなと思いながら走っていたのだが、さて。上賀茂から鴨川の土手を走り、北山通に入ったあたりで、最初の異変に襲われた。
左足が「抜ける」のだ。時々、着地した時に「すかっ」と力が入らない。おかしい。去年は狐坂を走って上がり、下りで足が軽いことに気づいて、そこから「走った」のに、今年は早くも足の力がなくなっているようだ。北山を折り返して、下鴨中通に入ったあたりで、腰がきつくなってきた。だるい。これも去年にはなかったこと。早い話が走るのがつらい。
といっても謀反を起こしているのは、下半身関係である。腰がだるく、足に力が入らず、膝が少し痛むだけだ。上半身は何ともない。意識もしっかりしている。だから余計に疑問が湧いてくる。おかしいな、去年のマラソンの後に1000キロぐらい走って練習したのにと思いながらも、脚はどんどん弱っていく。北山橋の手前でふくらはぎのサポーターを外す。少しだけ楽になった気がする。
鴨川の河川敷コースに入ると、橋の下をくぐり抜ける時に、ほんのわずかなアップダウンがある。これがきつい。やばいなあ、走りきれるのかしらんと、先のコースを考えてみる。丸太町に出て烏丸まで行き、河原町まで戻ってきて、市役所に行く。そこでターンして河原町丸太町まで行って橋を渡り、川端を東一条まで。東大路、今出川で銀閣寺道まで上がって戻る。うんざりする。
京都のコースで何よりうんざりさせられるのは、折り返しの多いこと。たくさんの先行ランナーとすれ違うたびに、まだぎょうさん走らなあかんことを思い知らされる。市役所からの折り返しで歩きそうになった。すると間髪入れずに鬼軍曹が「やばいっすよ。このままだと5時間超えますよ。ペースアップしましょう」とか、励ましてくれる。
ペースアップねえ、できればしますけど、ブツブツ。と言葉に出さずに足を動かす。とにかく、一歩ずつ前に脚を出す。あくまでも歩くのではなく、走っているつもりで動かす。だから、手を意識して振る。そして最後の作戦「オペレーション:可能な限り脚を速く動かす意識で頭をいっぱいにする」を実行する。
不思議なことに、これで、ほんの少しペースが上がった(ような気がした)。銀閣寺道からの下りでは、気持ちだけ足の動きが早くなった(ような気もした)。このままゴールまで走れば、5時間は切れそう。と思って鞭打った結果が4時間58分38秒となった。
ゴールした瞬間に感じたのは「肩、だるっ!」だった。リラックスしていたつもりだけれど、ガチガチに力が入っていたみたいだ。足は膝のあたりが痛い。ともかく42.195キロ走り続けることができた。
だが、不思議だ。去年のタイムロスを考えれば、今年のほうが遅いし、しんどい。しかも、今年は狐坂を登っていないから、コースも楽になっている。一年間、かなりきちんと走っても来た。なのに、どうして、こんなにつらいのか。
結論。一年分だけ、年をとった、ということなのですね、これは。肉体が下り坂に入るとは、こういうことなのかもしれない。などと、いろいろ考えさせられた、今年の京都マラソンであった。
とりあえず橋本軍曹、あなたのおかげで5時間を切ることができました。ありがとうございました、
昨日のI/O
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『指の骨』
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