なぜ人は料理人になるのか


2週間で4回

同じ店に通っている。その名前を『キッチンひとさら』という。つい先日にも書いた(→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20090418/1240029300)ばかりだ。が、この店はまた一つ、食に対する自分の見方を変えてくれた。


初めてこの店で食べた「サラダ」からして、何かが違っていたのだ。小さな店のどこだったかは忘れたが、とても控えめに「当店では、化学調味料は使っておりません」と書かれていた。四回通ってみて、その意味が決定的に深く理解できた。


ある意味不幸と言ってもいいのかもしれない。ともかく化学調味料に味付けを頼っている他の店で出されるメニューが、ちっとも美味しくなくなってしまったのだ。違いがはっきりわかったのは,この週末のこと。金曜日、一風変わった中華チェーン店を展開して急速に伸びている店でお昼ご飯を食べた。


メニューはバラ肉のスタミナ焼き定食である。しっかりした味付けには,さらに唐辛子がかけられていて、うまく辛味を出している。一口目は美味しいと思った。が、食べすすむに連れて味の平板さが気になり始め,食べ終わったときには「つまらない味」としか思えなかった。確かに唐辛子を始めとしたスパイスが利いていて,味に刺激はある。が、ふくらみがまったくない。


味のふくらみなどと一端の食通みたいな表現を使っているが、もちろん決してグルメを持って自認しているわけではない。食事にそんなにお金をかけてきたわけでもない。が、少なくとも『ひとさら』さんの食事と比べると明らかに薄っぺらいのだ。


自分の感覚を確かめるために,次の日のランチにもう一度『ひとさら』さんに行ってみて、はっきりとした。この店はサラダからして味にふくらみがある。しかも,妙な刺激がまったくない。


土曜日のランチでは、サラダに続いて玉ねぎのムースが出てきた。最初は玉ねぎだとはわからず、ジャガイモだろうかと思った。舌触りはとてもなめらかで、味が深い。黒い(おそらくは醤油系の)ソースがかかっている部分をあえて避け、何もかかっていないところを食べてみてそう思ったのだ。そしてソースを絡めて食べると、味わい深さがさらに増すことがわかった。


当たり前の話ではあるが、この「玉ねぎのムース」の味によりうま味と深みを与えるために工夫されたソースがかかっているわけだ。ソースにも,もちろん妙な刺激はまったくない。その理由はおそらく化学調味料を使っていないから、だろう。


メニューは「長いもと桜えびのソテー」が続いた。鍋の上で一人分ずつ長いもをすりおろして入れている。これが写真のメニュー、うっすらと醤油を焦がした味付けは、長いもの風味が生かされている。そして「さんまのごまフリット」「ポークと玉ねぎのミルク煮」が出た。


食べていてとても優しい気持ちになった。これまでにも、少しはぜいたくをしておいしいものを食べさせてもらう機会があった。本当に美味しいと感じる料理に巡り会ったことも何回かある。でも、食べていて自分の気持ちがゆったりとほぐれていくような感覚になったのは、これが初めてだ。


なぜ、だろうかと考えてみて思いついた答は、女性シェフの気持ちではないかということ。この人は「自分が作った料理を,人が楽しそうに食べる姿」を見るのが大好きなのだ。どうして,そう思うのか。


料理にものすごく手間がかかっているからだ。例えば,玉ねぎのムースである。玉ねぎを滑らかなムースに仕上げるのもさることながら、この味にたどり着くまでにどれだけの試行錯誤を重ねただろう。ムース自体の味付け、さらにはその味をより引き立てるソース作り。素材の味を活かし、かといって素材の味だけでは膨らみにかけるからソースを加える。ただしソースが勝ちすぎては台無しになる。


そんなソースが簡単に作れるとは思わない。ネットで探ってみれば「玉ネギーのムース」のレシピはすぐに見つかる。その通りに作ればそれなりのものは,意外と簡単にできるのかもしれない。でも『ひとさら』さんのように、食べる人を優しい気持ちにしてくれる料理にまで昇華されるかどうかは別問題ではないのだろうか。


この料理を,この味で定着させるためには,ムース自体の味付け,ソースの味付けだけを考えればよい、というわけでもない。取り分けるムースの量に対するソースの割合も,この繊細な味付けの完成を目指すためには、いろいろ試してみなければ決めることはできなかったのではないだろうか。


もちろん,チェーン店のレシピ開発でも同じように膨大な時間がかけられ,細心の注意が払われていることは想像に難くない。が、同じことを「味の安定した」化学調味料を使わずにやっているのが『ひとさら』さんだ。その手間、時間のかけ具合(そうした作業をする人の気持ち)が結局は食べるものを幸せな気分にする料理となって結実しているのではないだろうか。


こんな店と出会えたこと、その店が毎日でも通えるようなところにあり、しかも極めてリーズナブルな値段設定となっているのは、ほとんど奇跡的な僥倖といっていい。ただし、一点だけ不幸なこともある。『ひとさら』さんぐらいの気持ちが込もっていない店の料理はことごとく、まったく美味しいとは思えなくなってしまった(そんなお店でお金を払って食べることにものすごく腹が立つようになってしまった)



昨日の稽古: