試験恐い
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/06/20
- メディア: 新書
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しまったぁ〜。寝過ごしてもた。
えらいこっちゃ、この単位落としたら、もう一年留年や
なんて悪夢にうなされることが、未だにある。年に2〜3回のことだけれども、確実にある。その理由をつらつらと考えてみるに、やはり大学でやり残したことがあるからではないかと、思うようになった。
そんな中で出会ってしまったのが、内田樹先生の『寝ながら学べる構造主義』である。通称『寝な構』。昨日、東京へ向かう新幹線の中で読み始め、秋葉原から乗った筑波エキスプレスの中で読み終えた。そしてホテルについて、印をつけたページを読み返した。
これでも文学部社会学科専攻である。以前にも書いた通り卒論のテーマこそ「遊びの社会学」といったおちゃらけたものになってしまったが(卒論そのもののできも相当にお粗末だったが)、実は社会学を選んだ理由の一つには、なぜ人の価値観は違うのか、という大それた問題意識があった。実に構造主義的なテーマですね。
→ http://d.hatena.ne.jp/atutake/20060119/
父親が国家公務員をしており、ガチガチの常識人間である。二言めには「そんなことは常識だ」とか「常識で考えろ」などといわれて育った。おかげで、物心つくころから「常識ってなんやねん」「日本の常識とアメリカの常識は違うやないか」「日本でも戦前と戦後では、常識の中身が変わってしもてるやないか」などと生意気にも考えるようになった。
そのため通っていた高校では常識外とされる文学部をあえて志望(文学部なんか行ってどうすんねん、就職、不利やぞ)し、現役受験に失敗したときも、これまた非常識といわれた宅浪(家で好きなようになんてやってたら、絶対に合格せえへんぞ)にわざわざチャレンジしたりもした。
結果的には一浪で合格できたのだから、所詮常識なんてそんなもんかと開き直ってしまい、大学では好きな学問をしっかりやるべし、という常識まで無視した結果が、今に至る始まりとなっている。
話がそれたが『寝な構』である。
もしも、この良書と大学時代にであっていたら、確実に人生変わっていたと思う。この本では構造主義が誕生する前史から始まり、まずその始祖としてソシュールが説かれている。これでも一応『一般言語学講義』はさらっと読んだのだけれど、お前は何を読んでいたんかというぐらい深い内容が、実にコンパクト、かつわかりやすくまとめられている。
続いて構造主義四銃士としてフーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンが同じくわかりやすく説明されている。そういえば大学時代の友人たちはフーコーがどうだとか、バルトがすごいとかいってたような記憶がある。まあ、その頃は「何じゃそれ」ぐらいにしか思わず、これらの構造主義を学ぶものの必読書さえ読むことはなかったから、実際にはどんなことが書かれているのかはまったく知らなかった。
が、それより何よりレヴィ=ストロースである。この人だけは、一応本もしっかり読んだ(つもりだった)。それなりにおもしろいとも思った。文明社会と未開社会を比べて、どちらが進んでいる遅れているというのはおかしいという説には、とても納得したりもした。のだが、人間社会は贈与を通じて、常に変化し続けるようにシステム化されているというエッセンスを読み取ることはできなかった。
さらに曰く「人間は自分が欲しいものは他人から与えられるという仕方でしか手に入れることができない」。そして「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」。
すごい。レヴィ=ストロースはこんなことを喝破していたのかと目からうろこボロッである。なんでわからへんかったんやろなあ。こんなおもしろいことがわかってたら、大学でもっともっと勉強したのに。
とはいえ46年も生きてきて、ようやくビジネスとは価値と対価の交換であるとか、コミュニケーションとはお互いの価値の交換であるとか、あるいは、そこから少しだけ思考を深めて、人が生きることとは生涯を通じた価値の交換ではないのか、などと思うようにはなっている。だから、この『寝な構』で説かれているレヴィ=ストロースの話が、実にすとんと頭に入ってきたのかもしれない。
もっとも学生時代にすでにフーコーだ、バルトだといってた奴、あるいはレヴィ=ストロースを読み込んでいて奴はいたわけで、彼らがちゃんと大学の先生になっていることを思えば、自分の知能発達過程が彼らより25年ぐらい遅れているという恐るべき可能性も否定はできないのだが。
だからなんだろうか。いつまでも消えない試験の悪夢、次はいつみることになるのだろう。
それにしてもである。
レヴィーストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っているのでした。
(『寝ながら学べる構造主義』あとがきより)
なんてひと言で一刀両断にしてしまう内田先生もすごすぎである。