レヴィ=ストロース的世界


夢のお告げである。


なぜ、ブログを書くことがおもしろいのか。夢の中でずっと考えていた。夢で見たことを覚えているのは、とても珍しい。が、なぜかかなりクリアに残っているので忘れないうちに書いておく。キーワードは、パラダイムシフトとレヴィ=ストロースである。何せ寝ている間に考えたことなので、まさに夢想でしかないかもしれないけれど。


昨日のエントリーで、最近自分が「パラダイムシフト」を使いすぎると反省した。とはいえ今の状況を表わすのに、ほかにしっくりとはまる言葉がない。それぐらい世の中が動いている。


かつて取材させてもらった(ちなみに7年間続いている著名人インタビューシリーズのトップでもあったわけだが)大前研一氏は、1995年が歴史の分岐点になるとおっしゃった。この年をもって、それ以前をビフォアゲイツ(Before Gates)、以降をアフターゲイツ(After Gates)といった。Gatesとはビルのゲイツ氏である。そして95年といえば、Windows95が登場した年だ。あのOSは、それぐらい強烈なインパクトをもって全世界を変えたというのが氏の主張である。


95年は正確には11年前になるが、まあ十年一昔である。この期間で自分の暮らし方・生き方がどれだけ変わったことか。みなさんはどうですか。変わってはいませんか。少なくともコミュニケーションについては、ほとんどの人が変化を受けているのではないか。携帯を含めて誰もがメールを使うようになってから、コミュニケーションの取り方が変わり、それは10年のときを経るなかで質の変化にもつながった。たぶん、間違いのないところだろう。


これがいま起こっているパラダイムシフトの根源の一つである。そしてインターネット時代のパラダイムシフトが、これまでに起こったパラダイムシフトと異なるのは、そのリアルタイムな開示性であり、参加性である。


つまり、これまでのパラダイムシフトといえば、必ずごく一部の人が引き起こしたエポックメイクな出来事がセットとなっている。この一大事をキッカケとして世の中が大きく動く。そのもっとももわかりやすい例が敗戦だろう。戦争が終わり、天皇の位置づけが変わり、新しい憲法ができ、生活はズタズタになり・・・。しかし、何がどう変わっていくのかが変化のさなかにいる人々にはわからなかったはずだ。だってたいていの人は、嵐の海に浮かぶ木の葉のようなもの。その変化にただただ翻弄されるだけ存在でしかなかったのだから。


ところがいま起こっているパラダイムシフトについては、何がどう変わっていこうとしているのかを、かなり多くの人が理解することができる。しかも、かなり多くの人がそのシフトに半ば参加することによって、動きが加速されたり、微妙に方向修正されている面もあると思う。これがインターネット時代のパラダイムシフトのあり方なのではないだろうか。


これほどまでに多くの人が、自分の意見を世の中に対して発言するなんてことは、人類の歴史始まって以来初めてである。これぞまさにブログの効用である。


そのブログが担っている社会的な機能とは何か。


これぞ、まさしくレヴィ=ストロースいうところの(というか『寝な構』で内田樹先生が説いておられる)贈与と交換を媒介するメディアではないのか。


レヴイ=ストロース的な贈与と交換では、やりとりされるのは女性である。曰く
「男は、別の男から、その娘またはその姉妹を譲り受けるという形式でしか、女を手に入れることができない」
「ほとんどの親族システムにおいて、ある世代において女を譲渡した男と女を受けとった男のあいだに生じた最初の不均衡は、続く世代において果たされる『反対給付』によってしか均衡を回復されない」


しかも、この
「反対給付は、二者のあいだでピンポンのように行き来するのではなく、絶えず『ずれていく』」
(『寝ながら学べる構造主義内田樹、文春新書、160p、164p)


このズレが社会システムの変化(それは必ずしも進化や刷新の方向だけではない)を引き起こしてきた。しかし、いま、このインターネット時代に贈与と交換の対象となっているのは、女性ではない。(ここは議論の残るところで、インターネット時代になり新たな贈与と交換の対象物が登場したから女性が対象ではなくなったのか、あるいは女性が対象物として機能しなくなってきたから新たな対象物が生まれてきたのか。この問いに対しては今の時点では何ともいえない。また以前の女性はメディアであり、かつメディアを通じてやり取りされる価値そのものでもあった。ところが今はメディアはネットであり、交換される価値は別のものと分化が起こっている)。


とにかく対象物は女性ではなく、情報に変わった。あるいは知恵、知性などといったことばの方がふさわしいのかもしれない。ここでいう知恵、知性とは、いわゆる学歴がどうこういうものでは、まったくない。


たとえ文章がつたなくとも、あるいはまとまった文章量になっていなくとも、そんなことはまったく関係なく、その人が自分で考えたことの表現物にこそ価値がある。人はいつも、何かを考えている。これを読んでいるあなたも、いままさにこの瞬間、いろんなことを考えているはずだ。なぜ考えるのかといえば、考えるように人間はできているとしか言い様がない。人は考えるようにプログラムされているのだ。そう考えるとネットの掲示板とは、実に良くできたシステムであることがわかる。誰かの考えの上に自分の考えを重ね、そこにまた誰かが自分の考えたことを重ねていく。もしかしたら掲示板こそが新しいコミュニケーションのありようを開いたぐらいにはいえるかもしれないし、ネットの最大の発明の一つではないかとも思う。


とりあえず一人ひとりが考えたことに、実はものすごい意味がある。なぜなら、その考えは、その人にしか考えられないことだから。そして、この貴重な、人それぞれの考えを、簡単に交換できるようなシステムが登場した。それによって女性を交換していた時代よりも、数段レベルの違うスピードで世界が変わりつつある。まさにレヴィ=ストロースが予言したように。


自分たちは、そんな時代を生きているのであり、こうやってブログを書くことが、時代を変える無数の力の一つにもなりうる。そのダイナミックなおもしろさが、少なくとも自分の場合は、ブログを書き続ける原動力となっている。


なんて流れの夢であった。



昨日のI/O

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昨日の稽古:西部生涯スポーツセンター・ダンススタジオ

・シャドー稽古
・ミット稽古
  前屈立ちで移動しながらの突き、蹴り
  自分でテーマを決めて
・組手稽古