上司、恐い


月間200時間


サラリーマン時代の残業(休日出勤を含む)記録である。これだけ残業すると、本給よりも残業代の方が多くなる。ボーナス月でもないの給料2倍みたいなもんで、1〜2年ぐらい上の先輩社員からはずいぶんとうらやましがられた。


初めて務めた会社ではなぜか「営業マンは残業代を申請すべからず」という不文律があったらしい。が、こちとら労働基準監督官の息子である。仕事したら、ちゃんと給料もらえよと入社時にしかと言い渡されていた。だから残業代は堂々と請求した。


営業マンとはいえ、やっていた仕事は400ページもあるカタログの原稿作りである。スペック原稿を決められたフォーマットに書き込み(当時は手書きですね)、いろんなメーカーから集まってくる写真をページごとに整理して、版下(いまや死語か)屋さんに渡す。


内勤できっちりと実働していたわけで、いわゆる営業マンのように外回りでどこいってたかわからんとか、夜は接待して遅くに会社に戻ってきて事務処理チャチャチャみたいなことをしていたわけじゃない。ほんとに一日に14、15時間働いていた。だから残業代もらって当然だろ、ぐらいに思っていた。


たぶん今なら、それで生産効率はどうなの? なんて突き詰め方をするのだろうけれど、ま、そこは若気の至りということで。


ところが、営業マンは会社のために死ぬ覚悟でご奉仕せよ的体質の企業である。先輩営業マンはもとより、上司に至っても堂々と残業届を出す新人なんて前代未聞。それを平気な顔してやるものだから、よほどの奇人変人に見えたらしい。


「毎晩、遅くまでがんばってたいへんやなあ」と当てこすり気味にいわれても「はい。さばいてもさばいても原稿があって」と、こちらは真に受けて返してしまう(今にして思えば、相当にうぶというか世間知らずだったというか)。


月曜朝の朝礼ではみんなの前で「君は、昨日も出てきてたんか。ほんまに御苦労さんやなあ」と嫌みを言われているのに「締め切りを考えると、間に合わないと思いまして」と、やはりストレートに返してボケをかましてみたり。


まあ、このときの部長さんはとても人情派で人はいいけれども、営業トークは何言ってんだかよくわかんないタイプの人。とりあえず「何とかうまくお願いしますよ」的お願い営業を専門としていた。たまに営業の見習いということで同行させられたのだが、そんな話で仕事もらえんのかよといつも斜に構えてみてた。それはそれで勉強になった。


次についたのが、社内ナンバーワンの理論派といわれた人である。人呼んで「雪隠詰めの○○」。とにかくこちらがミスをしたときの糾弾が厳しい。何しろ、ひと言めが違う。


最初の部長さんは「何しとんのや。あほ。しっかりせんかい」と、言葉はきついけれども、それで終わり。捨てゼリフは「今度から、気ぃつけぇよ」である。


ところがミスターセオリーは違う。謝ることを許さない。最初にひと言「君が謝っても何の意味もない」。クールですねぇ。「何が問題だったのか」「なぜ、そんなことが起こったのか」「どうして、きちんとできなかったのか」「仕事をなんだと考えているのか」「君は何を考えて生きているのか」・・・。


理屈で攻めまくるのである。いくら私が悪うござんした、といっても、それでは許してくれない。お前の考え方がいかんのだとか、そもそもそういう考え方をもつに至った生き方そのものが間違っていたのだとか。そこまで言うかあ、みたいねね。ときには、そんなことを思わざるを得ないような突っ込み方をされる。


だから人情派部長に怒られたあとは「くっそ〜、腹立つ。でも、しゃあないな。気晴らしに酒でも飲んで、また明日や」みたいな吹っ切れ方をできるのだけれど、理屈攻撃上司に苛まれた後は、あかん。発散できんのである。


下宿に帰ってカップラーメンをすすりながら、トリスをちびちび。ちびちび、ブツブツ。ず〜んと落ち込んで、トリスをさらにぐびぐび、ぐちぐち。ずど〜んと落ち込んで。「はぁ〜あ」でトリス、ぐいぐい。夜中まで飲み、それでも飲んでいる間は酔えず、潰れるようにして眠りに落ちる。夢の中でも質問責めにされている。


「う〜っわっ」と目が覚めると頭ガンガンの二日酔い、みたいなことが何回かあった。それ以来、上司はいらん。嫌や。と思いつつ仕事を選んできて、今に至るわけだが、それでも時に夢を見る。なるほど二十代で受けた精神的な傷は、かなり強固なトラウマとなって残るのだなと思う次第だ。


でも、今ぐらいの歳になると逆に、叱ってくれる上司が欲しかったりして人間って、ほんとに勝手なものですね。




昨日のI/O

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『身体知/内田樹×三砂ちづる
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