中国の視点で考える


中華四千年の歴史という


確かに中国の人は、モノを考えるときの時間軸が相当に長いのだと思う。以前にも書いたけれど、いま中国でコンピュータ産業を引っ張っているのは、今から20年以上も前に国策としてアメリカに派遣された人たち(大学のエリート)である。その頃から中国政府はいずれコンピュータの時代が来ることを読んでおり、最先端の研究をさせるために優秀な人材をアメリカにどんどん送っていた。20年先を考えていたわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/atutake/20060202/


その中国の政府幹部が日中関係の次の節目として考えているのが、2045年だという。第二次大戦終戦百周年である。ここまでくると戦争の記憶も薄れ、反日を国内をまとめるためのカードとして使えなくなる。そんなふうに先を読んでいるらしい。何とも気の長い話だ(『フォーサイト』6月号)。


2045年といえば、今から40年も先である。ひるがえって日本の政治家に、あるいはいわゆる論客といわれる人たちの中でも、これぐらい先の話をしている人がいるだろうか。人口が減って大変だとか、国の借金が膨らんでえらいことになるとか、年金制度が破綻するなんて騒いではいるが、今から40年後の日本の姿を語っている人を自分は寡聞にして知らない。


もしかしたら政治家の間では、そんな先の日本の姿を語ることはタブーになっているのかもしれない。だって、日本の将来の姿なんて素人が考えても暗い像しか浮かんでこないもの。特に財政について詳しい実情を報らされている政治家はおそらく、迂闊なことは絶対にいえないのだろう(情報をつかんでいるから、政治家たちは個人資産を海外に移している、というのは相当に確度の高いインサイダーネタである)。


ここで思考実験。


では中国の人(政府幹部を想定します)は、40年後の対日関係をどう読んでいるのか。いろいろなシナリオを想定してるのだろうが、彼等にとってもっとも理想的な未来図は、日本の属国化だろう。属国といっても、別に中華人民共和国日本省ではない。そうなると日本の面倒を見なければならない。そんな面倒なことを考えるはずもなく、もっとドラスチックに日本の生殺与奪の権を握るぐらいの意味だ。


たとえば日本が仮に、今のような食料需給システムを採り続けるなら、あるいは農業政策を続けていくなら、このシナリオが実現する可能性はとても高い。コンビニから割りばしが消える話で書いたように、中国産品が日本で圧倒的に高いシェアを占めているのは、何も割りばしに限った話ではない。むしろ割りばしなどまだ実害はない。食料の方が致命的な問題である。
http://d.hatena.ne.jp/atutake/20060414/


食料は買えばいい。日本にはそれだけの購買力がある。モノ作りさえしっかりやっていれば大丈夫だ、という考え方もあるが、これも実は極めて危うい。なぜか。日本が得意とするハイテク製品作りに必要なレアメタルも、その大半を中国に押さえられているからだ。あまり知られていない話かもしれないが、実態はそうなっている。
http://www.iijnet.or.jp/IHCC/north-china-industry-shigensoudatu01-china-genryo01-raremetal01.html


確かここ一ヶ月ぐらいの間で「中国がレアメタルの輸出制限」という記事を日経で見かけた。あまり大きな扱いではなかったが、論調は相当に深刻だったと記憶する。やろうと思えば中国はいつでも、日本に対する輸出制限をかけることができる。そして日本には食料を始めとするさまざまな資源の輸入先として中国以外のオプションが少ない。


自国への資源依存度を高めることによって、いざというときには日本を思うようにコントロールする。これが中国政府の長期的戦略だったとしたら、日本はそれにまんまとはまっているわけだ。


仮に中国がこうした思考パターンを持っているとすれば、小泉首相靖国参拝を彼らはどう捉えただろうか。政府幹部としては「多謝(=Thank you very much!)」のひと言に尽きるのではないか。


政権交代したとはいえまだまだ国内での基盤が弱かった胡主席にとって、最大の課題はいかに国をまとめるかである。経済格差の問題、官僚腐敗の問題などが表面化し、国内のガスは破裂寸前までたまっている。何とかしてガス抜きをと考えていた胡主席にとって小泉首相靖国参拝は、まさに渡りに船、千載一遇のチャンスと映ったのではないだろうか。


さらに思考実験を進める。


仮に小泉首相靖国参拝を取りやめ、親中スタンスに徹していればどうなっただろうか。昨年の反日デモで結果的に発散された中国の人々の不満は、どこに向かっただろう。と考えると、中国政府にとっては、国内の反日感情をあおり立てること(=中国の国内状況に対して人々の不満を向けさせないこと)が必須の課題だったはずだ。


であれば、あえて日本に対して高圧的な態度に出るぐらいの芸当は、彼らにとっては朝飯前である。副首相が日本までわざわざ出かけてきて、小泉首相との会談をドタキャンするとか、一方では経済界の人には礼儀を尽くすとか。そんなのはすべて計算尽くの行動だろう。そしてその背景には少なくとも2045年のことを考えている幹部がいるわけだ。


これに対して小泉首相は、自分の公約(ということは自分の任期内での約束である)だからと靖国参拝を実施した。もちろん参拝そのものの是非をいっているわけではなく、結果的に参拝が中国にどう利用されたかという点が重要なのだと思う。


相手を困らせることが単純に国益につながるとは思わない。しかし相手の選択肢を絞っていくことが、自国を有利なポジション導く戦略であることは間違いない。報道によれば小泉首相は最後の置き土産として、終戦記念日靖国参拝を考えているらしい。しかし、ここは少し引いた視点を持てないものだろうか。


それが中国政府にとってはどれだけ利用価値の高い行動になるかを考えた上で「それでもやる(なら、どんなメリットが日本にあるのかを示す)」「あえてやらない(やはり、これからの日本にとってのメリットを示す)」ぐらいのことはぜひともしてもらいたいものだ。



昨日のI/O

In:
児玉清氏インタビュー
Out:
自立循環型住宅インタビューメモ


昨日の稽古: